フィリグリー象嵌細工:中国の無形文化遺産


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このフィリグリー象嵌細工のブローチは、昆虫の頭に非常に複雑なフィリグリー技法がいくつか施されている。 石は象嵌細工で本体にセットしてある。 写真:Eric Welch(エリック ウェルチ)/GIA。
「純金細工」とも呼ばれるフィリグリー象嵌細工は、2種類の手工芸の技能を組み合わせています。 一つは、つかむ、編む、つなげる、重ねる、埋め込む、組む、といった技術を含む、重さが異なる金線や銀線を使用するフィリグリーです。 もうひとつは象嵌細工で、完成品に石をセットして、貴金属を彫刻したり削ったりします。 作品を作る際、職人は一方のみまたは両方の技能を使用します。

フィリグリー象嵌細工の歴史 

フィリグリー象嵌細工は戦国時代(紀元前475~221年)に始まりました。 当時、この技術は「ジン・イン・ツゥオ」と呼ばれており、ブロンズの芸術作品の表面に金や銀を塗装する作業も含まれていました。 唐王朝(618年~907年)や宋王朝(960年~1279年)の頃に誕生した薄い金線や銀線を作る技術が発達するに伴い、フィリグリー象嵌細工は成長期に達しました。
 
明王朝(1368年~1644年)は、フィリグリー象嵌細工の黄金時代となりました。 多くの傑作が生まれ、継承されました。 明王朝に続いて、フィリグリー象嵌細工は清王朝(1644年~1911年)で最盛期を迎えました。 清王朝は、中国の歴史の中で最後の王朝でした。 しかし、中国は260年以上も少数派グループである「 満族」によって支配されていました。
 
前の王朝から本質的な要素を継承し、時間をかけて新しい要素を追加することによって、この芸術の形式が発達しました。 高級なジェード宝飾品のブランド、Zhaoyi社が経営する民間美術館で見られる多くのフィリグリー象嵌細工の作品は、明王朝および清王朝からの傑作のレプリカです。
 
長い間フィリグリー象嵌細工の芸術作品は、王室と皇族によってのみ支配され、高く評価されてきました。 一般の人々が製品をいくつか買うことはできましたが、龍や鳳凰のような特定のテーマを持つ作品を所有することは禁止されていました。 王室のみが、最高品質の素材とデザインを所有することができました。
 
清朝の終わりに起きた社会的大惨事により、皇室はもはやその地位を保持できず、高級品を買うことができなくなりました。 多くの金細工職人達は、宮殿を脱出して自分でビジネスを始めました。 しばらくの間は、多くの小規模なフィリグリー象嵌細工の工房や工場が北京南部に集中し、ここはあらゆる種類の職人であふれていたこともありました。

このイヤリングは、明王朝の傑作、 紫禁城で使用されたランプの、3次元レプリカ。 ランプは六角形の楼閣を模倣したもの。 金細工職人は、楼閣に7つの玉を付けた。 身に着けている人が動くと、玉が前後に揺れる。 写真:Eric Welch(エリック ウェルチ)/GIA。
これは、家族に経済的利益をもたらす賢妻となることを祈る義母から新しい嫁に送られた清王朝の指輪のレプリカ。 純金細工の応用で、そろばんの小さい玉がそれぞれ自由に動く。 写真:Eric Welch(エリック ウェルチ)/GIA。
それまで150年間に中国が経験した多くの社会的動乱が終わった20世紀末には、フィリグリー象嵌細工は多くの消えつつある文化遺産の一つでした。 この芸術的な表現形式で作業ができた金細工の達人は非常に少なく、必要とされる勤勉さと努力に身を捧げる若者はほとんどいませんでした。 文化大革命(1966年~1976年)からもうひとつの障壁が生まれ、宝飾品を身に付けたり、所有したりもしくは単に素敵に見えるということが国に反抗的であると考えらるようになりました。
 
2000年代初期における無形文化遺産の概念の国際的な起草により、フィリグリー象嵌細工が取り上げられ、将来の世代に継承されることが可能になりました。 (無形文化遺産の概念は、国や地域社会の文化遺産の一部として認識されている慣行、知識、技法を包含します。)
 

現代的な宝飾品会社と
金細工の巨匠のコラボレーション

フィリグリー象嵌細工で芸術作品を作成するためには莫大な費用がかかるので、一から始めるために投資するのを希望する人はほとんどいませんでした。 こうした危機的局面で、Zhaoyi 社と金細工の巨匠Bai Jingyi(バイ ジンイー)のコラボレーションがは人々の注目を集めました。 このコラボレーションが始まる以前は、巨匠バイは利害の対立のため多くの宝飾品会社による誘いを拒否していました。 Zhaoyi社の社長であるWang(ワン)は、フィリグリー象嵌細工で素早くかつ大規模な利益をあげることが同社の目標ではないことを、巨匠バイにしっかりと伝えました。
 
ジェダイト専門のブランドとして事業をスタートしたZhaoyi社は、失われつつあるこの芸術の継続に貢献することを決断しました。 今回は巨匠バイが合意し、彼らは約4年前に彼女の工房を設立しました。 またZhaoyi社は、最初に技能を発達させてからオリジナルデザインの製品を作るというバイの考えを支持しました。

有名な高級ジェダイトブランドのZhaoyi社は、巨匠Bai(バイ)とのコラボレーションによりフィリグリー象嵌細工の工房を作った。 同社は、ジェダイト事業からの利益を使用してオートクチュールのフィリグリー象嵌細工のビジネスをサポートしている。 写真:Pedro Padua(ペドロ パドゥア)/ GIA
この4年間巨匠バイは、新しい芸術家や若い実習生を教えたり、有名な歴史的作品のレプリカを作ったり、伝統的な技術を使用して新しいデザインを作成したりすることに時間の大半を費やしてきました。 Zhaoyi社の北京Xin Tian Di ギルド店の3階建ての建物のうち、2つのフロアを使ってフィリグリー象嵌細工のレプリカと新しいデザインを展示しています。 3階にあるのは、北京で唯一の民間フィリグリー象嵌細工美術館です。 バイの工房で作られた数々の傑作がそこに展示されています。 巨匠バイと同僚は順調にこの職人技を次の世代に継承しながら、中国の高級宝飾品市場に合う新製品の作成にも取り組んでいます。

工房で、巨匠Bai(バイ)が見事なフィリグリー細工の作品に取り組んでいるところ。 写真:Zhao Yi Xin Tiandi Co., Ltd.

巨匠Bai Jingyi(バイ チンイー)

フィリグリー象嵌細工業界で金細工職人およびデザイナーとして50年以上働いた後、バイはこの芸術のスタイルに対する彼女の深い愛を説明してくれました。
 
彼女の家族は、中国の清王朝を形成した少数民族「満族」で構成されています。 家族の伝統から影響を受け、彼女は少女時代に絵画が大好きになりました。 彼女は有名な画家になることを夢見たこともありましたが、後に人生で様々な状況や人生を変える機会を経験したことから、この夢は叶いませんでした。

金細工職人およびチーフデザイナーである巨匠Jingyi Bai(チンイー バイ)は、伝統を継承するためにフィリグリー象嵌細工の芸術作品を作り、後進の指導にあたる。 写真:Zhao Yi Xin Tiandi Co., Ltd.
絵画以外に、バイは模様のデザインにも非常に興味がありました。 このため、彼女のデザイナーとしての生涯に役立つ基礎が形成されました。 学校で貴金属を専攻したので、彼女はフィリグリー象嵌細工やエナメルのような芸術品を作るために必要な知識と技能を身につけましたが、金細工の達人やデザイナーとして成功するにはこれらのスキルがまだ十分ではないと感じました。 実際のフィリグリー象嵌細工の工場で働き始め、上の世代の金細工の達人たちから訓練を受けてから、彼女は非常に上達しました。
 
50年の間バイはフィリグリー象嵌細工の伝統と発展に身を捧げ、多数の栄誉を受け、彼女の功績が称えられました。 2008年には、国務院が正式にフィリグリー象嵌細工を中国の無形文化遺産として指定しました。 これと同時に、巨匠バイは公式の代表継承者として選ばれました。 この名誉とそれに関わる責任、さらにZhaoyi社とのコラボレーションが加わり、彼女はさらなる高みへと到達しました。
 
同社と彼女の同僚からの支援を受け、バイは歴史的なフィリグリー象嵌細工作品の有名なレプリカを多数制作しました。 「6匹の龍と3つの鳳凰冠」が1つの例として挙げられます。彼女と同僚は、この作品に単に純金細工を応用したのではありません。 「カワセミの羽の技能」と呼ばれるもうひとつの失われつつある技能も用いました。カワセミは、背中に非常に魅力的で生き生きとした青色を見せる羽のある美しい鳥です。 昔の職人は生きている鳥から羽を抜き、さまざまな宝飾品にそれらを取り付けました。 それは、主に皇室で使用された芸術でした。 2012年、この「6匹の龍と3つの鳳凰冠」の傑作は、北京美術工芸財宝として指定されました。

この「6匹の龍と3つの鳳凰冠」の傑作では古代のカワセミの羽の技能を使用して、ディテールが作られた。 写真:Eric Welch(エリック ウェルチ)/GIA。
現在、巨匠バイは、Zhaoyi社のフィリグリー象嵌細工のオートクチュール·サービスのチーフデザイナーとして自分の工房でフルタイムで働いています。 彼女は、古いけれども精巧なこの芸術を継承するために実習生としてより多くの若者が彼女のところに来てくれるのを喜んでいます。 彼女は作品に誇りを表現し、次の世代にこれらの技能を継承するために最大の努力をしています。

巨匠バイは依然として工房でフルタイムで働き、さらに学生や実習生を指導しています。 写真:Zhao Yi Xin Tiandi Co., Ltd.

フィリグリー象嵌細工作品の市場

巨匠バイと彼女のグループは、主としてフィリグリー象嵌細工のハイエンド市場に焦点を当てていますが、市場には全体として二つの部分に分けられると彼女は理解しています。 全国の多くの小規模な工場は、投資レベルが限られており、関心の対象は様々です。 彼らの目標は、技能を受け継いだり次の世代に継承するのではなく、比較的低品質のフィリグリー象嵌細工作品で簡単にお金を稼いだり、簡単に作られた他の製品に何らかのフィリグリー的な要素を追加することです。 これらの製品は、土産品市場を独占しています。

巨匠バイは、彼女の高級製品を買い求めるのは成功を収めているビジネスマンや上の年代の政府高官だけだろうと当初は考えていました。 驚いたことに、若者の中に彼女の作品を積極的に購入する者もいました。 工房で初めて一つ一つデザインされた宝飾品セットの一つは、非常に若いカップルが購入しました。
 
国内と海外の市場に関しては、「伝統に戻ること」がファッションの世界では終わりなき傾向のように思えるので、巨匠バイはこの2つの市場間に大きな違いを感じていません。 中国の若者が彼らの伝統にますます注目していることに彼女は気づいています。 彼女は、母親や祖母から継承された伝統的なジュエリーとともに流行の服を着こなしている若い女性を見て喜びます。 海外の消費者に関しては、スタイルに着目するのに加えて、作品の職人技にも目を向けています。 全体的に、フィリグリー象嵌細工の市場の見通しは非常に明るくなっています。

これらの新たにデザインされた現代的フィリグリー象嵌細工の作品は、Zhaoyi社の美術館に展示されている。 写真:Eric Welch(エリック ウェルチ)/GIA。

フィリグリー象嵌細工の今後

中国の無形文化遺産として、フィリグリー象嵌細工は人々の注目を集め、保護され、継承されています。 この古代芸術スタイルと技能を中国が存続させる希望はありますが、回避することのできない問題がいくつかあります。 まず第一に、金細工の達人がますます少なくなっていることです。 時が経つにつれて、いくつかの技能が徐々に失われてしまいます。 若者に知識と技能を継承するためにより多くの指導者が必要とされています。
 
第二に、この芸術スタイルを継承するためにより多くの若い実習生が必要とされています。 大学の卒業生のなかには、腰を落ち着けて技能を学ぶ者もいますが、これらの技能を受け継ぎ次の世代へ継承するために十分な人数を確保するためには、継承者の数を増やしておく必要があります。
 
最後にもうひとつ大事なことは、どのような種類の芸術でも、それ自体で呼吸することができる場合のみ存続させることができることです。つまり、どこかの美術館に置かれているだけであったり、限られた人々の間でのみ評価されるのではなく、実際の市場で生きている必要があるということです。 失われつつある技能を取り戻すのにレプリカの作成が必要ではあるものの、バイと彼女のグループは現在の市場とその消費者に容易に受け入れられるモダンなデザインで作品を作らなければならないと、彼女は主張します。 そうすることでこの芸術を存続させることができます。
 
巨匠バイが若手の宝飾品ジュエリーデザイナーに伝えたいことは、彼らは近代の芸術と中国の文化的伝統の両方からインスピレーションを吸収する必要があるということです。 西洋の油絵の大ファンであるバイは、ジュエリーデザイナー志望の美術学生は海外に行き現代芸術の概念と西洋の芸術的な側面を学ぶことを勧めています。 また、自分を他者から際立たせるのは自分の持つ伝統であるから、その伝統を忘れないようにと学生たちに伝えています。 彼女が説明するように、西洋の芸術と東洋の伝統との間の摩擦はいつも、最も美しい芸術を作り上げます。

Tao Hsu(タオ スー)博士は、Gems & Gemology(宝石と宝石学)の技術編集者です。 Andrew Lucas(アンドリュー ルーカス)は、GIAカールスバッドのコンテンツ戦略でフィールドジェモロジィのマネージャーを務めています。

著者は、自分の職人技術に対する幅広い知識および限りない情熱を私たちに伝えてくださった金細工の巨匠Bai JingYi(バイ チンイー)に感謝します。 また、店舗や博物館で長時間写真やビデオの撮影を許可してくださった高級ジェダイトの小売業者Zhaoyi社にも感謝します。 特に、これらの素晴らしい訪問を計画してくださったZhaoyi社のVivian Jiang(ビビアン ジアン)とGrace Gao(グレース ガオ)にお礼を申し上げます。 また、著者は北京で私たちのガイドを務めてくださった中国地質大学のJianlin Xiong(ジアンリン シオン)にも感謝します。