歴史的書籍のリスト:南アフリカのダイヤモンド産地:第1部(1868-1893年)
5月 29, 2017
古代ローマの学者プリニウスは、「Maximum in rebus humanis, non solum inter gemmas, pretium habet adamas(宝石だけでなく、あらゆる物の中で、ダイヤモンドは最も貴重である)」と記述しました。
1867年初期、ケープ植民地のオレンジ川沿いにあるホープタウンの小さな集落の近く、貧しいボーア人の農民ダニエル・ヤコブの土地で、南アフリカで初となるダイヤモンドが発見されました。南アフリカのオレンジ川とバール川の合流点近くであるこの地域は、何千人ものヨーロッパの入植者(主にオランダ人とイギリス人)が農業や牧畜業を営むために沿岸地域から内陸部に移動した際の定住地の一つでした。この地域でダイヤモンドが発見されるとは誰も想像しておらず、価値のある石を探し当てようという人などはいませんでした。当時は、ブラジルが少なくとも150年間にわたり、ダイヤモンドの主要な産地とされていました。
ヤコブの息子エラスムスは、オレンジ川の南岸沿いで他の子供たちと遊びに使うきれいな石を集めていましたが、その中にキラキラと輝く小石がありました。彼の母がその小石に気づき、近隣の農夫シャルク・ファン・ニーカークに見せたところ、彼はその石の見た目の美しさに惚れ、買わせて欲しいと申し出ました。彼女は「石を買ってもらうなんて馬鹿げている」と思い、彼にその小石をただであげました。
この農夫はその石に価値があるかもしれないと思い、ホープタウンや近郊のコールスバーグで何人かに見せましたが、関心を持つ者は誰もいませんでした。しかし、コールスバーグで行政官を務めていたロレンツォ・ボエスがその小石を吟味し、その石はガラスに傷をつけられるという特性があることを発見します。その後、彼は グラハムズタウンの医師そしてアマチュア地質学者でもある W.G.アサーストン へその石を送りました。すると、その物理的特性から、その石は重量21.25カラットのダイヤモンドであると判明したのです。
ケープ植民地の知事フィリップ・ウォドハウス卿は、それが本当のダイヤモンドであることを確認し、500ポンドで購入しました。しかし、中にはこのニュースに疑問を抱く人々もいました。当時、ほとんどの人々はダイヤモンドを見たこともなく、本で見たことがあるだけでした。彼らは、ダイヤモンドがどのようにそして何故南アフリカで発見されたかについて議論しました。
この驚くべき発見により、オレンジ川沿いに住んでいたボーア人の農民は「blink klippe」(輝く石)をより真剣に探すようになりました。初めてダイヤモンドが発見されたというニュースが広まるにつれて、探鉱者の小さなグループが同じような宝石を探し求めてこの地域に押しかけてきました。その後数ヶ月の間、次々とダイヤモンドが発見され、1869年までにはこれらの川の周辺地域から数百ものダイヤモンド(サンドフォンテインで採鉱された「Star of South Africa(スター・オブ・サウスアフリカ)」として知られる、83.5カラットのダイヤモンドも含む)が産出されました。このダイヤモンド採掘に関わっていた人々は、ガーネットが見つかればその近くにダイヤモンドの漂砂鉱床があることが多い、ということに気付きました。この時代の科学的なアプローチの主流は、ダイヤモンドが最初に形成された母岩を見つけることでした。
1870年、ダイヤモンドは バルトフォンテイン農場(オレンジ川の採掘地域から20マイル南東の場所)でかなり豊富に発見されるようになります。この時の採掘は、後に「ドライディギング」と呼ばれる方法で行われました(後に、火道上部の風化・分解が進んだ部分で発生したダイヤモンドだと認識されるようになった)。こうした発見に伴い、ケープ植民地のより広い地域でのダイヤモンド採掘を望み、土地の一部の権利を要求する(さまざまな人種や国々の)人々が何千人も殺到しました。そして、その後20年もかからないうちに、多くの肥沃な鉱床が発見され、後に南アフリカの有名なダイヤモンド鉱山となりました。
読書リストの使用方法
この読書リストは、南アフリカのダイヤモンド産地の歴史について学ぶ機会を提供するために編集されました。これらの記事の多くは1800年代から1900年代初期に発行されたものですが、この時期、歴史的重要性が高い有名な宝石鉱床が多く発見され、宝石学や鉱物学が科学となりました。このリストは、時代の経過とともに考察が深められていく様子がよく分かるように、年代順に提示されています。このリストは包括的ではありませんが、見過ごされ、忘れられがちな興味深い宝石学の情報がまとめられています。
記事の多くはすでに一般公開されており、Hathitrust、Internet Archive、またはその他のデジタルレポジトリなど、オンラインのデジタルライブラリで閲覧ができます。より最近の出版物については、Richard T. Liddicoat Gemological Library(Richard T. Liddicoat 宝石学図書館)などの図書館で大抵見つかります。これらの記事の要約は通常、ジャーナルや雑誌の出版社のウェブサイトに掲載されており、ほとんどの場合、記事全文をその出版社経由で購入できます。
GIA 図書館の蔵書内容や現地へのアクセス方法については、カールスバッドの GIA 図書館までお問い合わせください。
On the Discovery of Diamonds at Hope Town in the Cape Colony(ケープ植民地のホープタウンでのダイヤモンドの発見)、J. Tennant、Proceedings of the Royal Geographic Society(王立地理学会の講演要旨集)、Vol.12、No.5、322-323ページ(1868年)。南アフリカでのダイヤモンドの最初の発見に関する報告。また、その前年に発見されたダイヤモンドに関する記述。そのうちのいくつかは既にロンドンのジュエリー会社に所有されていたもので、その他のダイヤモンドは1867年の夏から秋にかけてのパリ万国博覧会で展示されています。
Diamonds at the Cape Colony(ケープ植民地のダイヤモンド)、H. Emanuel、Journal of the Society of Arts(ジャーナル・オブ・ザ・ソサエティ・オブ・アーツ)、Vol.16、No.83、849-850ページ(1868年)。ロンドンの有名なダイヤモンド商人からの手紙。彼は、ダイヤモンドの発見に関する相次ぐ報告を知った後、そのニュースの信憑性を確認するために、地質学の知識を持つ友人(James R. Gregory)を南アフリカの地域に派遣しました。Gregoryは、その地域を広範囲にわたって調査した結果、ダイヤモンド生成に関する地質学や鉱物学的な証拠を一つも発見することができなかったとしています。
Diamonds from the Cape of Good Hope(喜望峰で産出されたダイヤモンド)、J.R. Gregory、Geological Magazine(ジオロジカル・マガジン)、Vol.5、No.54、558-561ページ(1868年)。南アフリカでいくつかの地区を訪れた筆者が「ダイヤモンド発見またはダイヤモンドが産出される鉱床の発見を予期させる内容の証拠は、どの地方にも見つからなかった」と報告しています。
Diamonds at the Cape Colony(ケープ植民地のダイヤモンド)、W.B. Chalmers、Journal of the Society of Arts(ジャーナル・オブ・ザ・ソサエティ・オブ・アーツ)、Vol.17、No.747、199-200ぺージ(1869年)。ホープタウンの行政官が執筆した、17個のダイヤモンド原石に関する手紙。この手紙には、それらのダイヤモンドの形やサイズ、発見された場所、信頼できる者から得た個人情報に基づく販売価格と購入価格などが記述されています。
Diamonds at the Cape(ケープ州のダイヤモンド)、E. Muskett、Journal of the Society of Arts(ジャーナル・オブ・ザ・ソサエティ・オブ・アーツ)、Vol.17、No.855、379ページ(1869年)。ホープタウンの医師からの手紙で、この地域でダイヤモンドが発見されると主張しています。James R. Gregory(上記、リストの2番目と3番目を参照)のダイヤモンドはないという主張に対し、最近発見されたダイヤモンドついて徹底的に詳細を調べていないからだと論じています。
Diamonds(ダイヤモンド)、A. Wilmont、South African Magazine(サウス・アフリカン・マガジン)、Vol.3、570-586ページ(1869年)。ダイヤモンドの一般的な情報と、南アフリカでのダイヤモンド発見に関する物語。
Diamonds at the Cape(ケープ州のダイヤモンド)、H. Emanuel、Journal of the Society of Arts(ジャーナル・オブ・ザ・ソサエティ・オブ・アーツ)、Vol.17、No.861、517ページ(1869年)。「私は、ケープ植民地は「ダイヤモンドの生産国」であると今何の疑いもなく言えることを嬉しく思います。ダイヤモンドがかつてない新しい条件のもとで発見され、従来の鉱区とは大きく異なる土壌で発見されたのは、間違いなく驚くべきことです。しかし、ケープ植民地におけるダイヤモンド発見という明らかな事実(例えば、大きなダイヤモンドも発見されている)があるのに、地質学的先例と異なるからといって異議を唱えるのは、明らかに筋が通っていないのです。ダイヤモンドが見つかっている事実は、詐欺または不正行為といったあらゆる疑いを取り除いてくれる正当な理由になるのです」と著者は述べています。
The Discovery of Diamonds at the Cape of Good Hope(喜望峰でのダイヤモンドの発見)、W.G. Atherstone, Geological Magazine(ジオロジカル・マガジン)、Vol.6、No.59、208-213ページ(1869年)。James R. Gregory(上記、リスト2番目と3番目を参照)の結論に対する異議。また、リストの3番目の記事で Gregory が主張する「ケープ州におけるダイヤモンドの発見にまつわる話はすべて偽造および詐欺行為であり、植民地でダイヤモンドという貴重な素材を探させることで資本の支出を増やし景気を刺激する計画であった。また、鉱区の地質学的特徴を最近入念に調査した結果、ダイヤモンドがこの地で発見されたり、発見されること自体がありえない」という内容に異議を唱えています。また、ダイヤモンドが発生する証拠について要約しています。
Discovery of Diamonds, etc., at the Cape(ケープ州におけるダイヤモンドなどの発見)、J.R. Gregory、Geological Magazine(ジオロジカル・マガジン)、Vol.6、No.61、333-334ページ (1869年)。南アフリカでのダイヤモンドの発見に関する W.G. Atherstone (一つ上のリストを参照)からの手紙への返事。
Diamonds and Gold at the Cape(ケープ州におけるダイヤモンドおよび金の発見)、G.S. Higson、Journal of the Society of Arts(ジャーナル・オブ・ザ・ソサエティ・オブ・アーツ)、Vol.18、No.923、759-760ページ(1870年)。Du Toit’s Pan(デュトアパン)およびその周辺のドライディギング(乾燥地での採掘)の現場を訪問した筆者が、土をふるいにかけダイヤモンドを採取する方法を報告しています。この方法は「それなりの収穫」をもたらしていたと指摘しています。
On the Geology of the Diamondiferous Tracts of South Africa(南アフリカのダイヤモンド鉱床の地質学について)、J. Shaw、Cape Monthly Magazine(ケープ・マンスリー・マガジン)、Vol.1、No.3、129-133ページ、No.4、249-253ページ および No.5、368-372ページ(1870年)。バール川流域にあるダイヤモンドの漂砂鉱床に関する見解を、数多く説明しています。この概要が、South African Magazine(サウス・アフリカン・マガジン)、Vol.3、785-787ページ(1869年)および Nature(ネイチャー)、Vol.3、No.53、2-3ページ(1870年)で掲載されています。
Diamonds at the Cape of Good Hope(喜望峰のダイヤモンド)、著者不明、 Mechanic’s Magazine(メカニックス・マガジン)、Vol.93、(10月14日)、271ページ(1870年)。南アフリカにおけるダイヤモンドの発見、およびクォーツまたは鉛ガラスからダイヤモンドを区別するいくつかの実用的方法に関する簡単な説明。
The Diamond-Fields of South Africa(南アフリカのダイヤモンド産地)、H. Hall、English Mechanic and World of Science(イングリッシュ・メカニック・アンド・ワールド・オブ・サイエンス)、Vol.12、No.291、99-100ページ(1870年)。ダイヤモンド産地の地理的な条件に関する要約。
“The South African Diamond Fields(南アフリカのダイヤモンド産地)”、著者不明、Edward Stafford(エドワード・スタッフォード)、ロンドン、46ページ(1870年)。南アフリカの新聞に掲載されたダイヤモンド産地について述べた手紙の要約を含む小冊子。
South African Diamonds(南アフリカ産ダイヤモンド)、J. Tennant、 Journal of the Society of Arts(ジャーナル・オブ・ザ・ソサエティ・オブ・アーツ)、Vol.19、No.940、15-18ページ(1870年)。南アフリカにおけるダイヤモンドの発見およびその産状に関する講演会のレポート。 この講演の概要は、Mechanic’s Magazine(メカニックス・マガジン)、Vol.93、(12月9日)、421ページ(1870年)、 English Mechanic and World of Science(イングリッシュ・メカニック・アンド・ワールド・オブ・サイエンス)、Vol.12、No.299、296-297ページ、(1870年)および Hardwicke’s Science Gossip(ハードウィックズ・サイエンス・ゴシップ)、Vol.7、No.73、11-12ページ(1871年)で確認できます。
In Quest of Diamonds(ダイヤモンドの探求)、著者不明、Littell’s Living Age(リテルズ・リビング・エイジ)、Vol.109、No.1407、490-498ページ(1871年)。南アフリカの海岸にあるダーバンからバール川沿いの内陸部にあるダイヤモンド産地へと、500マイルもワゴンで旅をした際の記録。同じ記事が、Cornhill Magazine(コーンヒルマガジン)、Vol.23、No.136、457-467ページ(1871年)にも掲載されています。
Across the Karoo to the Diamond-Fields(カルーを横断してダイヤモンド産地へ向かう旅)、著者不明、Cape Monthly Magazine(ケープ・マンスリー・マガジン)、Vol.2、No.10、222-231ページ(1871年)。カルーの乾燥地帯を横断し、ダイヤモンド産地に向かった旅の記録。
South African Diamonds(南アフリカのダイヤモンド)、著者不明、Progress in Chemistry(プログレス・イン・ケミストリー)、(1月号)、130-131ページ(1871年)。「約3、4年前に、南アフリカでダイヤモンドが発見されたと初めて発表されたとき、科学者の多くが、うわさの絶えないその発見の信憑性をやや疑う傾向にありました。しかし、当時熱心に検討されていた疑いがたとえ何であろうとも、ダイヤモンド発見の事実を正当化する数多くの説明がなされ、さらに前四半期に正真正銘の宝石が多く委託販売されたことにより、その説明が正しいことが実証されました。」ダイヤモンドは小さな丘の頂上または斜面で、砕屑物の蓄積の中でまばらに散在して見つかっていると報告しています。「採掘に従事した多くの労働者が、ダイヤモンドの分布が鉱区の特定のトラップ岩が発見される場所に関連していると信じており、そしてそのような岩石の中や近くでダイヤモンドの元の石基を見つけられる可能性があると薄々感づいていたと、私たちは理解しています。」
Among the Diamonds, by One Who has Visited the Fields(ダイヤモンド産地を訪問した者によるダイヤモンドに関する説明)、著者不明、Cape Monthly Magazine(ケープ・マンスリー・マガジン)、Vol.2、No.8、112-127ページ(1871年)。古代、有名なローマ時代の博物学者プリニウスは、「アフリカでは、常に新しいものが生産されています(Africa semper aliquid novi parti)」と述べています。このプリニウスの言葉は、ケープ植民地の境界線に流れるオレンジ川とバール川の偉大なる盆地でダイヤモンドが発見されたという「驚くべき事実」を前に、かつてない正当性を有している、と著者は述べています。また、いわゆる「ダイヤモンド産地」を訪れた際の詳細な報告が行われています。
On the Diamondiferous Regions of South Africa(南アフリカのダイヤモンド鉱床がある地域)、J. Shaw、 Cape Monthly Magazine(ケープ・マンスリー・マガジン)、Vol.2、No.12、358-364ページ(1871年)。バール川流域の堆積物中から発見されたダイヤモンドに関する地質学的予備調査について。
K. Mauch’s Wasserfahrt von Potchefstroom nach den Diamantenfeldern am Vaal-Fluss (Dezember 1870 – January 1871) [K. Mauch’s Water Trip from Potchefstroom to the Diamond Fields on the Vaal-River (December 1870 – January 1871)(ポチェフストルームからバール川沿いのダイヤモンド産地へ向かった K. Mauch の川の旅(1870年12月~1871年1月))]、 K. Mauch、 Petermann’s Geographische Mittheilungen、Vol.17、254-257ページ(1871年)。ダイヤモンド産地に向かって、1ヶ月間川を経由して旅をした記録をまとめたもの。
The African Diamond-Fields(アフリカのダイヤモンド産地)、著者不明、Every Saturday Magazine(エブリー・サタデー・マガジン)、Vol.2、No.64、251ページ(1871年)。ダイヤモンド産地に関する簡単な説明。
South-African Diamond-Mines(南アフリカのダイヤモンド鉱山)、著者不明、Appleton’s Journal(アップルトンズ・ジャーナル)、Vol.5、No.115、672-675ページ(1871年)。ダイヤモンド産地へ向かうことと、採掘現場に向かう手段についての初期の記述。
The South African Diamond-Fields(南アフリカのダイヤモンド産地)、著者不明、The Year-Book of Facts in Science and Art(ザ・イヤーブック・オブ・ファクツ・イン・サイエンス・アンド・アート)、202-204ページ(1871年)。筆者はグラハムズタウンの牧師 Williams 博士の言葉を引用しています。ロンドンのタイムズ紙に送った手紙の中で、博士は、ダイヤモンド産地について次のように述べています。「ダイヤモンド鉱山は、もしあるとしても今のところは全くその痕跡は見られません。唯一確かなことは、ダイヤモンドという貴重な宝石が、2ヶ月前には誰も住んでおらずその存在も気付かれていなかった数百平方マイルに及ぶ地域の、表面や表面近くに広がっているということです... 」
South African Diamond Fields(南アフリカのダイヤモンド産地)、著者不明、The African Repository(ザ・アフリカン・レポジトリー)、Vol.47、(12月号)、367-368ページ(1871年)。ダイヤモンド産地の環境に関する簡単なレポート。
On the Diamond Fields of South Africa(南アフリカのダイヤモンド産地)、T.R. Jones, Geological Magazine(ジオロジカル・マガジン)、Vol.8、No.80、49-60ページ(1871年)。ダイヤモンドの地質学的産状について、多くの人々の見解をまとめたもの。漂砂鉱床のダイヤモンドは、初期にはどこで発見されたのかが明らかになっていなかったため、示された見解の中に重要な意味をもつものもありました。他の見解は、後で正しくないことが判明しました。
South Africa and its Diamonds(南アフリカとダイヤモンド)、T.R. Jones、Popular Science Review(ポピュラー・サイエンス・レビュー)、Vol.10、169-176ページ(1871年)。筆者は、バール川流域におけるダイヤモンドの産状について検討し、ダイヤモンドが発見される場所の地質条件について見解を述べています。
Geognostische Skizzen von den Süd-Afrikanischen Diamanten-Distrikten [Geognostic Sketches of the South African Diamond District(南アフリカのダイヤモンド鉱区の地球構造学的概要)]、A. Hübner、Petermann’s Geographische Mittheilungen、Vol.17、81-87ページ および 210-215ページ(1871年)。ダイヤモンド鉱区の地質学に関する説明。
The Diamond Diggings(ダイヤモンドの採掘)、著者不明、Saturday Review(サタデー・レビュー)、Vol.31、No.793、16-17ページ(1871年)。Klipdrift(クリップドリフト)として知られる場所周辺のドライディギングに関する簡単な説明。
From Pniel to Hebron, and What May Come from the Diamond-Fields(プニールからヘブロンに至る旅路、そしてダイヤモンド産地から産出されるもの)、著者不明、 Cape Monthly Magazine(ケープ・マンスリー・マガジン)、Vol.2、No.11、310-316ページ(1871年)。ダイヤモンド産地をめぐる旅の記録、およびダイヤモンドの発見が国の発展にもたらす意味についての議論。
The Diamond Fields of South Africa(南アフリカのダイヤモンド産地)、著者不明、London Society(ロンドン・ソサエティ)、Vol.21、365-368ページ(1871年)。1840年代と1850年代にカリフォルニア州とオーストラリアで起きたゴールドラッシュと、南アフリカでのダイヤモンド産地発見を比較しています。
Thirty Days at the Diamond Fields(ダイヤモンド産地での30日間)、著者不明、All the Year Round(オール・ザ・イヤー・ラウンド)、Vol.25、No.130、617-620ページ(1871年)。バール川の岸に沿って1ヶ月間ダイヤモンドを探した旅の記録。
The South African Diamond Mines(南アフリカのダイヤモンド鉱山)、著者不明、Chambers’s Journal(チャンバーズ・ジャーナル)、Vol.48、No.374、117-120ページ(1871年)。ダイヤモンド鉱山の初期の歴史と、その歴史に関わった人々に関する説明。
On the Diamond-Districts of the Cape of Good Hope(喜望峰のダイヤモンド鉱区にて)、G. Gilfillan、Quarterly Journal of the Geological Society of London(クォータリー・ジャーナル・オブ・ザ・ジオロジカル・ソサエティ・オブ・ロンドン)、Vol.27、No.1、72-73ページ(1871年)。 1870年6月の訪問を基にした見解が述べられています。
The Diamond Fields of South Africa(南アフリカのダイヤモンド産地)、著者不明、London Society(ロンドン・ソサエティ)、Vol.21、No.124、365-368ページ(1872年)。同国の豊富なダイヤモンド鉱床の発見がもたらす影響についての議論。
Les Nouvelle Mines de Diamants [The New Diamond Mines(新しいダイヤモンド鉱山)]、 著者不明、Magasin Pittoresque、Vol.40、No.23、183-184ページ(1872年)。ダイヤモンド産地に関する簡単な説明。
At the Diamond Fields by One Who has been There(訪問した者によるダイヤモンド産地に関する説明)、著者不明、Cassell’s Magazine(カッセルズ・マガジン)、Vol.5、15-16ページ および 30-32ページ(1872年)。 ダイヤモンド産地へ旅をし、働いたことについて説明されている。
African Diamonds – An Invention Wanted(アフリカ産ダイヤモンド – 必要とされる発明)、著者不明、Scientific American(サイエンティフィック・アメリカン)、Vol.26、No.15、231ページ(1872年)。ダイヤモンドをより簡単に分離するため、風化岩の粉砕に役立つ機械の開発・発明が必要であると簡単に述べられています。
On the Diamond-Gravels of the Vaal River, South Africa(南アフリカのバール川のダイヤモンド砂礫)、G.W. Stow、Quarterly Journal of the Geological Society(クォータリー・ジャーナル・オブ・ザ・ジオロジカル・ソサエティ)、Vol.28、No.1/2、3-21ページ(1872年)。バール川沿いの漂砂鉱床ダイヤモンドの産状に関する地質学的な説明。
On the Geology of the Diamond-Fields of South Africa(南アフリカのダイヤモンド産地の地質学)、J. Shaw、Quarterly Journal of the Geological Society(クォータリー・ジャーナル・オブ・ザ・ジオロジカル・ソサエティ)、Vol.28、No.1/2、21-27ページ(1872年)。ダイヤモンドの漂砂鉱床の地質条件にまつわる見解。
Notes from a Diamond Tour through South Africa(南アフリカでのダイヤモンド鉱床見学)、T.W. Tobin、Journal of the Society of Arts(ジャーナル・オブ・ザ・ソサエティ・オブ・アーツ)、Vol.20、No.1009、351-355ページ(1872年)。1870年に有名なロンドンの宝石商のエドウィン・ストリーターと共に、ダイヤモンド産地を見学した経験についての記述。
Digging for Diamonds(ダイヤモンドの採掘)、著者不明、The Spectator(ザ・スペクテイター)、No.2289、591-592ページ(1872年)。南アフリカのダイヤモンド産地訪問を考えている人々に実用的なアドバイスを提供している Charles Payton 著の本の書評。この時までには既に、何千人もの人々がダイヤモンド採掘に携わっていました。この本についての別の書評が、The Mining Magazine and Review(ザ・マイニング・マガジン・アンド・レビュー)、Vol.1、372-375ページ(1872年)にも掲載されています。
The End of the Cape Diamonds(ケープ州産ダイヤモンドの終末)、著者不明、Once a Week(ワンス・ア・ウィーク)、No.243、172-174ページ(1872年)。漂砂鉱床および表面が風化した鉱床の生産性が減少しているため、人々がダイヤモンド産地近くへと移住するのを断念するよう忠告しています。この忠告は、筆者のダイヤモンド産地における個人的な経験に基づいています。
“Diamond Fields of South Africa(南アフリカのダイヤモンド産地)”、著者不明、 American News Company(アメリカン・ニュース・カンパニー)、ニューヨーク、238ページ(1872年)。ダイヤモンド産地への旅に関する記述。
“The Diamond Diggings of South Africa(南アフリカのダイヤモンド採掘)”、 C.A. Payton、Horace Cox(ホーレス・コックス)、ロンドン、240ページ(1872年)。ダイヤモンド採掘に関する説明。 その概要が、The Mining Magazine and Review(ザ・マイニング・マガジン・アンド・レビュー)、Vol.1、372-375ページ(1872年) に掲載されています。
Du Toits Pan, and Klipdrift, Griqualand-West、E. Cohen、Neues Jahrbuch für Mineralogie, Geologie und Palaeontologie、857-861ページ(1872年)および 150-155ページ(1873年)。デュトアパンとクリップドリフトにおけるダイヤモンドの採掘に関する説明。
Life in the Diamond Fields(ダイヤモンド産地での生活)、A.E. Coleman、Harper’s New Monthly Magazine(ハーパーズ・ニュー・マンスリー・マガジン)、Vol.46、No.273、321-336ページ(1873年)。最も近い海岸からダイヤモンド産地(ケープタウンから650マイル)までの450マイルの旅に関する説明と、採掘権の要求を試みた筆者の記述。
“Adamantia – The Truth about the South African Diamond Fields(アダマンティア – 南アフリカのダイヤモンド産地に関する真実)”、A.F. Lindley、W.H. & L. Collingridge(W.H. & L.コリングリッジ)、ロンドン、423ページ(1873年)。英国による南アフリカのボーア領土占領に関する議論が展開されています。
Les Mines de Diamante d’Afrique [The Diamond Mines of Africa(アフリカのダイヤモンド鉱山)]、 M. Desdemaines-Hugon、La Revue Scientifique(ラ・レヴュー・サイエンティフィック)、Series 2、Vol.3、No.21、493-497ページ (1873年)。ダイヤモンド採掘に関する概要。
Diamond-Digging at Pniel(プニールにおけるダイヤモンド採掘)、著者不明、Chambers’s Journal(チャンバーズ・ジャーナル)、Vol.50、No.500、468-470ページ(1873年)。ケープタウンからプニールへの10日間の旅についての記述。ダイヤモンド採掘の「最古」と筆者が呼ぶプニールで、鉱山労働者として従事した内容を説明しています。
“To the Cape for Diamonds(ダイヤモンドを探し求めてケープへ)”、F. Boyle、Chapman and Hall(チャップマン・アンド・ホール)、ロンドン、415ページ(1873年)。ダイヤモンド産地まで旅をして労働に従事した人の経験についての本。
Life in the New Diamond Diggings(新たなダイヤモンド採掘の生活)、R.W. Miller、Scribner’s Monthly(スクリブナーズ・マンスリー)、Vol.5、No.5、529-538ページ(1873年)。 ダイヤモンド産地における日常の生活について述べたもの。使用されているダイヤモンドの採掘方法に関する説明も含まれています。
On A Visit to the Diamond Fields of South Africa, with Notices of Geological Phenomena by the Wayside(南アフリカのダイヤモンド産地への訪問:道の傍らで確認された地質学的な現象に関する記録)、J. Paterson、Proceedings of the Geologists’ Association(地質学者協会の講演要旨集)、Vol.3、No.2、70-80ページ(1873年)。ポート・エリザベスからダイヤモンド産地まで辿り着くまでの、田舎の地域の様々な地質学的特性に関する観察。
The Diamond Mines of Africa(アフリカのダイヤモンド鉱床)、著者不明、 Science Record(サイエンス・レコード)、535-542ページ(1874年)。乾燥したダイヤモンド漂砂鉱床での採掘に使用されている方法を説明した記事。
Remarks on the Geographical and Physical Character of the Diamond Fields of South Africa(南アフリカのダイヤモンド産地の地質学的および物理学的な特性に関する記録)、 T. Shepstone、 Journal of the Society of Arts(ジャーナル・オブ・ソサエティ・オブ・アーツ)、Vol.22、No.1113、390-392ページ(1874年)。バール川流域のダイヤモンドを産出する国の地理に関する議論。
Supplementary Remarks on the Commercial Aspects and Influences of the South African Diamond and Gold Fields(南アフリカのダイヤモンドおよび金の産地の商業的側面と影響に関する補足)、R.J. Mann、 Journal of the Society of Arts(ジャーナル・オブ・ザ・ソサエティ・オブ・アーツ)、Vol.22、No.1113、392-397ページ(1874年)。金とダイヤモンドの鉱床に関する検討と、採掘が南アフリカにもたらした経済的影響に関する論議。
Les Mines de Diamans du Cap [The Diamond Mines of the Cape(ケープのダイヤモンド鉱山)]、M.Desdemaines-Hugon、Revue des Deux Mondes、Vol.3、Pt. 3、569-600ページ(1874年)。ダイヤモンド産地における漂砂鉱床に関する詳しい説明。
On the Mode of Occurrence of Diamonds in South Africa(南アフリカのダイヤモンドの生成方法について)、E.J. Dunn、Quarterly Journal of the Geological Society of South Africa(クォータリー・ジャーナル・オブ・ザ・ジオロジカル・ソサエティ・オブ・サウスアフリカ)、Vol.30、No.1/2、54-60ページ(1874年)。ダイヤモンドは土地の表面にダイヤモンドを運んできた岩石から採取されます。それらの火成岩は、堆積した頁岩内に定置した円形のパイプのような物体の中で形成されます。
On the Character of the Diamontiferous Rock of South Africa(南アフリカのダイヤモンドを産出する岩石の特性)、N. Story-Maskelyne および W. Flight、Quarterly Journal of the Geological Society of London(クォータリー・ジャーナル・オブ・ザ・ジオロジカル・ソサエティ・オブ・ロンドン)、Vol.30、No.1/2、406-416ページ(1874年)。 いくつかの鉱床で採取された、ダイヤモンドを産出する岩石の観察。
The South African Diamond Fields(南アフリカのダイヤモンド産地)、 A.H. Hornsby、Inter-Ocean Steam Book and Job Print(インターオーシャン・スティーム・ブック・アンド・ジョブ・プリント)、シカゴ、78ページ(1874年)。ダイヤモンド産地への旅や、実際にそこで仕事をした経験についての記述。
Diamonds from the Cape of Good Hope(喜望峰で産出されたダイヤモンド) 、J. Tennant、Geological Magazine(ジオロジカル・マガジン)、Vol.2、No.11、545-547ページ(1875年)。イギリスに持ち込まれた、いくつかの南アフリカ産ダイヤモンドに対する筆者の見解が述べられています。その中で、それらのダイヤモンドは「過去80年間の間にヨーロッパで主に出回っていたブラジル産のダイヤモンドに等しい[..]数と品質である」と説明しています。また、ロンドンにおけるダイヤモンドカッティングの復活についても言及しています。
The Diamond-Mines of the Cape(ケープ州のダイヤモンド鉱山) 、著者不明、Appleton’s Journal(アップルトンズ・ジャーナル)、Vol.13、No.304、78-79ページ(1875年)。海岸からダイヤモンド産地へと旅した経路、および田舎の地域の特徴に関する簡単な説明。
Notes on the Diamonds from the Cape of Good Hope(喜望峰のダイヤモンドに関する記述)、J. Tennant、Geological Magazine(ジオロジカル・マガジン)、Vol.2、No.11、545-547ページ(1875年)。南アフリカで最近発見されたダイヤモンドの性質の一般的な説明。
The Diamond Fields of Griqualand, and their Probable Influence on the Native Races of South Africa(グリクァランドのダイヤモンド産地および南アフリカの原住民に与えうる影響)、J.B. Currey, Journal of the Society of Arts(ジャーナル・オブ・ザ・ソサエティ・オブ・アーツ)、Vol.24、No.1217、372-381ページ(1876年)。ダイヤモンド産地の発見の歴史および規模、ダイヤモンドを採取するために使用される方法、および原住民の生活の改善をもたらしうる経済的なメリットの検討。
Further Notes on the Diamond-Fields of South Africa…(南アフリカのダイヤモンド産地に関する記述)、E.J. Dunn、Quarterly Journal of the Geological Society(クォータリー・ジャーナル・オブ・ザ・ジオロジカル・ソサエティ)、Vol.33、No.1/2、879-883ページ(1877年)。現地訪問に基づき、デビアス鉱山のキンバーライトパイプの地質学的特徴がいくつか説明されています。
South African Diamond Fields and the Journey to the Mines(南アフリカのダイヤモンド産地および鉱山への旅)、 W.J. Morton、American Geophysical Society(アメリカ地球物理学協会)、32ページ(1877年)。南アフリカへの旅行やダイヤモンド産地での生活について説明した、アメリカ地球物理学会での講演。
To South Africa for Diamonds!(ダイヤモンドを探して南アフリカへ!)、W.J. Morton、Scribner’s Monthly(スクリブナーズ・マンスリー)、Vol.16、No.4、551-563ページ および No.5、662-675ページ(1878年)。アメリカからイギリスに、そして南アフリカのケープタウンへと向かった旅に関する記述。駅馬車およびラバや牛が引く荷車で海岸から内陸部へと800マイルも旅をし、ダイヤモンド産地に辿り着いた様子(旅の総距離は10,000マイル以上)が語られています。また、ダイヤモンド鉱山、近くの集落およびダイヤモンドを採取するために使用されていた方法についても説明があります。
Composition et Origine du Sable Diamantifère de Du Toit’s Pan (Afrique Australe) [On the Composition and Origin of the Diamondiferous Sands at Du Toit’s Pan, South Africa(南アフリカのデュトアパンにおけるダイヤモンドの漂砂の成分と起源)]、S. Meunier、 Comptes Rendus Hebdomadaires des Séances de L’Académie des Sciences、Vol.84、No.6、250-252ページ(1877年)。あるダイヤモンド漂砂地帯における、ダイヤモンド含有堆積物に関する議論。
Les Mines de Diamants de l’Afrique Australe [The Diamond Mines of Southern Africa(南アフリカのダイヤモンド鉱山)]、H. Blerzy、 La Nature(ラ・ナチュール)、Vol.6、No.240、81-83ページ(1878年)。ダイヤモンド鉱山についての簡単なレポート。
Voyage aux Mines de Diamants dans le Sud de l’Afrique [Voyage to the Diamond Mines of South Africa(南アフリカのダイヤモンド鉱山への旅)]、著者不明、 Le Tour du Monde(ル・ツール・ドゥ・モンド)、Vol.36、No.931、289-304ページ、No.932、305-320ページ、No.933、321-335ページ(1878年)。1872年にダイヤモンド産地を訪問した旅行に関する女性の記録。
Diamonds(ダイヤモンド)、F.M. Endlich, American Naturalist(アメリカン・ナチュラリスト)、Vol.12、No.7、419-430ページ(1878年)。ダイヤモンドの原産地についてや、色の原因や有名な宝石についての見解など、ダイヤモンドに関する一般的な情報。
Die Diamantfelder Süd-Afrika’s [The South African Diamond Fields(南アフリカのダイヤモンド産地)]、E. Lippert、Mitteilungen der Geographischen Gesellschaft in Hamburg、Vol.2、327-340ページ(1878年)。1868年から1878年までの10年間における、ダイヤモンド採掘の検討。
Sur les Mines de Diamant de l’Afrique Australe [About the Diamond Mines of Southern Africa](南アフリカのダイヤモンド鉱山について)、M. Chaper、Bulletin de la Société Minéralogique de France、Vol.2、No.7、195-197ページ(1879年)。ダイヤモンド鉱山に関する簡単な説明。
The South-African Diamond Fields(南アフリカのダイヤモンド鉱山)、著者不明、Chambers’s Journal(チャンバーズ・ジャーナル)、Vol.57、No.870、551-553ページ(1880年)。ダイヤモンド産地での生活に関して簡単にまとめたもの。
On a Crystal of Diamond(ダイヤモンドの結晶について)、H. Baker、Journal of the Chemical Society(ジャーナル・オブ・ザ・ケミカル・ソサエティ)、Vol.37、579-581ページ(1880年)。8つの結晶が並列な配置で重なり合って成長した、珍しい双晶ダイヤモンドに関する記述。
Les Mines de Diamants de l’Afrique Australe [The Diamond Mines of Southern Africa](南アフリカのダイヤモンド鉱山)、J.A. Roorda-Smit、Archives Néerlandaises des Sciences Exactes et Naturelles、Vol.15、61-74ページ(1880年)。ダイヤモンド採掘の地質条件に関する説明。
Journey through Central South Africa, from the Diamond Fields to the Upper Zambesi(ダイヤモンド産地からザンベジ川上流へと向かう南アフリカ中央部の旅)、E. Holub、Proceedings of the Royal Geographical Society(王立地理学会の講演要旨集)、Vol.2、166-182ページ(1880年)。1872年にダイヤモンド産地を訪問した者の体験談。
Les Mines de Diamant de l’Afrique Australe [The Diamond Mines of Southern Africa(南アフリカのダイヤモンド鉱山)]、G. Tissandier、La Nature(ラ・ナチュール)、Vol.9、No.410、295-298ページ(1881年)。キンバリー近郊のダイヤモンド鉱山に関する簡単な概要。
Diamond Fields of South Africa(南アフリカのダイヤモンド産地)、E.W. Murray、Journal of the Society of Arts(ジャーナル・オブ・ザ・ソサエティ・オブ・アーツ)、Vol.29、No.1478、370-384ページ(1881年)。バール川とオレンジ川の川岸に沿ったダイヤモンド採鉱の発展について。
The Diamond Mines of South Africa(南アフリカのダイヤモンド鉱山)、E.B. Biggar、 Lippincott’s Magazine(リッピンコットズ・マガジン)、Vol.29、No.159、217-231ページ(1881年)。ダイヤモンド産地での生活に関する記述。
Notes on the Diamond Fields, South Africa(南アフリカのダイヤモンド産地に関する記述) 、E.J. Dunn、 Quarterly Journal of the Geological Society of London(クォータリー・ジャーナル・オブ・ザ・ジオロジカル・ソサエティ・オブ・ロンドン) 、Vol.37、No.1/4、609-612ページ(1881年)。キンバリー近郊のダイヤモンド鉱山の条件についての見解が述べられています。
Ueber die Südafrikanischen Diamantfelder [About the South African Diamond Fields(南アフリカのダイヤモンド産地について)] 、E. Cohen、 Vierter Jahresbericht des Vereins für Erdkunde zu Metz 、No.6、129-165ページ(1882年)。ダイヤモンド産地に関する詳しい説明。
On the Diamond Fields and Mines of Kimberley, South Africa(南アフリカのダイヤモンド産地およびキンバリー鉱山について) 、J.N. Paxman、Minutes of Proceedings of the Institution of Civil Engineers(イギリス土木学会の講演要旨集の議事録)、Vol.74、59-90ページ(1883年)。キンバリー周辺の鉱山と、当時使用されていた採掘方法に関するプレゼンテーションの詳しい記述。プレゼンテーションの概要は、Engineering and Mining Journal(エンジニアリング・アンド・マイニング・ジャーナル)、Vol.35、No.26、882ページ(1883年)に掲載されています。
Les Mines de Diamants du Cap [The Diamond Mines of the Cape(ケープ州のダイヤモンド鉱山)] 、F. Boxhorn、La Nature(ラ・ナチュール)、Vol.11、No.1、311-315ページ(1883年)。キンバリー近郊のダイヤモンド採鉱事業に関して述べられています。
On a Recent Hypothesis with Respect to the Diamond Rock of South Africa(南アフリカのダイヤモンド岩石に関する最新の仮説) 、W.H. Huddleston、Mineralogical Magazine(ミネラロジカル・マガジン)、Vol.5、No.25、199-210ページ(1883年)。ダイヤモンドの母岩における様々な地質学的見解と、それらの見解が、岩石の形成に関して示唆することが議論されています。
A Recent Visit to the Boers(ボーア人への最近の訪問) 、R. Loyd-Lindsay、Littell’s Living Age(リテルズ・リビング・エイジ)、Vol.160、No.2066、212-222ページ(1884年)。イギリスから南アフリカまで(ボートで3週間かけて)航海し、その後ダイヤモンド産地へと向かった旅に関する記事。この時点ではもう、乾燥地の表面はほとんど採掘しつくされており、風化していないキンバーライトを採掘するようになっていました。キンバーライトの硬い岩石はバケツで表面に持ち上げられて広げられ、数ヶ月間かけて粉砕が行われました。この分解された岩石を洗浄すると泥の状態になり、ダイヤモンドを損傷することなく採取の処理が行われます。また、主要なダイヤモンド鉱山や近くの集落についても説明しています。
The South Africa Diamond Fields(南アフリカのダイヤモンド産地)、著者不明、Mining and Scientific Press(マイニング・アンド・サイエンティフィック・プレス)、Vol.49、No.21、322ページ(1884年)。採鉱事業についての統計情報に関する簡単なレポート。1883年、350,000ロード(1ロード当たり16立方フィート)のキンバーライト鉱石が、キンバリー鉱山から採取され、947,787カラットのダイヤモンドが産出されたと報告されています。
“L’Etoile du Sud – Le Pays des Diamants” [The Star of the South – The Diamond Deposits (スター・オブ・ザ・サウス - ダイヤモンド鉱床)] 、J. Verne、 Collection Hetzel(コレクションヘッツェル) 、 パリ(1884年)。ダイヤモンド産地と有名なダイヤモンドについて、著名な小説家が執筆したフィクション小説。
Notes on the Great Kimberley Diamond Mine(偉大なるキンバリーダイヤモンド鉱山について) 、W.P. Marshall、Midland Naturalist(ミッドランド・ナチュラリスト)、Vol.7、93-98ページ(1884年)。キンバリー近郊のダイヤモンド鉱山に関して述べられています。
The Diamond Fields of South Africa(南アフリカのダイヤモンド産地) 、G.E. Smith、Transactions of the Mining Institute of Scotland(スコットランド鉱業会の議事録)、Vol.6、Pt. 1、48-57ページ、(1884年)および A Mining Tour through South Africa(南アフリカの採掘旅行)、 (同じジャーナルおよび著者)、Vol.9、17-36ページ(1887年)。 ダイヤモンド産地について説明した2つの記事。
The True Story of the Finding of the First Cape Diamond(ケープ州で初めて発見されたダイヤモンドに関する実話) 、著者不明、 Leisure Hour(レジャー・アワー)、Vol.34、686-687ページ(1885年)。シャルク・ファン・ニーカークが後にダイヤモンドであることが証明された石を、どのように ヤコブ家から購入したのかを述べたもの。ニーカークはこのダイヤモンドを500ポンドで売り、その報酬の半分をヤコブ一家に渡したと伝えられています。
The Origin and Home of the Diamond(ダイヤモンドの起源と原産地) 、W.J. Harrison、Knowledge Magazine(ナレッジ・マガジン)、Vol.7、(5月8日)、390-391ページ、(5月22日)、438-439ページ、および (6月5日)、478ページ(1885年)。1880年代初頭までに、ドライディギングの6箇所の主要な鉱山(デュトアパン、デビアス、バルトフォンテイン、キンバリー、コフィーフォンテイン、ヤーガースフォンテイン)が誕生しましたが、これらの鉱山はすべてバール川南部の地域に集中していました。これらの鉱山の開発が進行するにつれて、ダイヤモンドを産出するキンバーライトの岩石は、垂直なパイプ内で発生していることが明らかになりました。このパイプは、浸食除去された火山クレーターの下のマグマチャネルと考えられていました。記事では、これらの火成岩パイプの起源に関して、いくつかの理論が検討されています。
Mémoire su la Géologie Générale et sur les Mines de Diamants de l’Afrique du Sud [Memoir on the General Geology and the Diamond Mines of South Africa(南アフリカの一般的な地質学およびダイヤモンド鉱山に関する研究論文)] 、A. Moulle、Annales des Mines、Vol.7、No.2、193-342ページ(1885年)。南アフリカの地質学およびダイヤモンド鉱山に関して、詳しい説明がされています。
On the Diamond Rocks of South Africa(南アフリカのダイヤモンド岩石について) 、H.E. Roscoe、Proceedings of the Manchester Literary and Philosophical Society(マンチェスター文学哲学協会の講演要旨集)、Vol.24、5-10ページ(1885年)。ダイヤモンドを産出するキンバーライト岩石の組成に関する分析データが、いくつか示されています。
Notes on the Diamond Rock of South Africa(南アフリカのダイヤモンド岩石に関する説明) 、W.H. Huddleston、Proceedings of the Geologists’ Association(地質学者協会の講演要旨集)、Vol.8、63-81ページ(1885年)。ダイヤモンドの母岩に関する見解と、その形成についての考察が述べられています。
ケープ州のダイヤモンド採掘 、T. Reunert、“Official Handbook – History, Productions and Resources of the Cape of Good Hope(公式ハンドブック – 喜望峰の歴史、生産および資源)”、ケープタウン、177-219ページ(1886年)。ダイヤモンド鉱山の歴史、開発および運営に関する詳しい説明。
Observations Complémentaires sur l’Origine des Sables Diamantiféres de l’Afrique Australe [Additional Observations on the Origin of the Diamond-bearing Sands of Southern Africa(南アフリカのダイヤモンドを産出する漂砂の起源に関するその他の見解)] 、S. Meunier、Comptes Rendus Hebdomadaires des Séances de l’Academie des Sciences、Vol.102、No.11、637-640ページ(1886年)。ダイヤモンドが産出される堆積物の起源に関して議論が展開されています。
African Diamond Mining(アフリカのダイヤモンド採鉱) 、著者不明、 Scientific American Supplement(サイエンティフィック・アメリカン・サプリメント) 、Vol.22、No.553、8833-8834ページ(1886年)。ダイヤモンド鉱山に関する簡単なレポート。
The Diamond Mines of South Africa(南アフリカのダイヤモンド鉱山) 、G.F. Williams、 Engineering and Mining Journal(エンジニアリング・アンド・マイニング・ジャーナル) 、Vol.42、No.20、345-347ページ および No.21、363-366ページ(1886年)。米国鉱山技師協会に対して行われた、主要なダイヤモンド鉱山の運営に関する説明。この記事は、Transactions of the American Institute of Mining Engineers(米国鉱山技師協会の議事録)、Vol.15、392-417ページ(1887年)にも掲載されました。
The Diamond Fields of South Africa(南アフリカのダイヤモンド産地) 、G.J. Nathan、 Longman’s Magazine(ロングマンズ・マガジン) 、535-546ページ(1886年)。キンバリー近郊のダイヤモンド鉱山の開発に関する議論が展開されています。
Diamonds and the Diamond Fields(ダイヤモンドおよびその産地) 、P.M. Laurence、“The South African Exhibition, Port Elizabeth, 1885(南アフリカ展覧会、ポートエリザベス、1885年)” 第13章、255-283ページ(1886年)。南アフリカ展覧会の一部として著者が行った公開講演会の記録。
The South-African Diamond Mines(南アフリカのダイヤモンド鉱山) 、著者不明、 Popular Science Monthly(ポピュラーサイエンスマンスリー)、Vol.30、(2月号)、459-473ページ(1887年)。ダイヤモンドの歴史的な原産地の検討と、ダイヤモンド産地の歴史と採鉱事業に関する概要説明。
The Diamond Mines of South Africa(南アフリカのダイヤモンド鉱山) 、G.F. Williams、Transactions of the American Institute of Mining Engineers(米国鉱山技師協会の議事録)、Vol.15、392-417ページ(1887年)。キンバリー近郊のダイヤモンド採鉱事業に関する詳しい説明。
Four Large South African Diamonds(4つの大きな南アフリカ産ダイヤモンド) 、G.F. Kunz、Science(サイエンス)、Vol.10、No.235、69-70ページ(1887年)。4つの大きなダイヤモンド結晶に関して説明されています。128.54ctのティファニーイエローダイヤモンドとなったダイヤモンド結晶も言及されています。
Diamond Mines(ダイヤモンド鉱山)、著者不明、Mining and Scientific Press(マイニング・アンド・サイエンティフィック・プレス)、Vol.54、No.26、1ページ および Vol.55、No.1、5ページ、No.2、1ページ、No.3、37ページ、No.4、53ページ、No.5、67ページ(1887年)。ダイヤモンド鉱山に関する簡単な説明。
South African Diamond Mines(南アフリカのダイヤモンド鉱山)、著者不明、Mining and Scientific Press(マイニング・アンド・サイエンティフィック・プレス)、Vol.55、No.13、196ページ(1887年)。デビアス鉱山の統括マネージャーを務めるため、南アフリカに向けて出発する米国の鉱山技師、Gardner F. Williams に関する記述。
On the Origin of the Diamond-Mines of South-Africa(南アフリカのダイヤモンド鉱山の起源)、R. Marloth、Transactions of the South African Philosophical Society(南アフリカ哲学協会の議事録)、Vol.4、第 1部、62-65ページ(1887年)。ダイヤモンドを産出するキンバーライトパイプの形成に関連する考察が議論されています。
Diamond Digging in South Africa(南アフリカでのダイヤモンド採鉱)、J. Andrew、Papers and Proceedings of the Royal Society of Tasmania for 1887(タスマニア王立協会の1887年度の論文および講演要旨集)、98-106ページ(1888年)。南アフリカの経済発展におけるダイヤモンド採鉱の重要性に関する議論。
“Diamonds and Gold of South Africa(南アフリカのダイヤモンドと金)”、 H. Mitchell、F.C. Mathieson & Son(F.C. マティエソン&サン)、ロンドン、131ページ(1888年)。主要なダイヤモンド鉱山の説明と、年間のダイヤモンド生産に関する情報の提示。
The Matrix of the Diamond(ダイヤモンドの母岩)、C. Lewis、Geological Magazine(ジオロジカル・マガジン)、Series 3、Vol.5、No.3、129-131ページ(1888年)。ダイヤモンドの火成岩母岩に関する記述があり、さらにダイヤモンド特有の構造と組成に基づき、キンバーライトという名称を与える提案がされています。この記事の要約版は、Chemical News(ケミカルニュース)、Vol.56、No.1454、153ページ(1887年)にも掲載されています。
Diamond Mining(ダイヤモンド鉱山)、著者不明、Mining and Scientific Press(マイニング・アンド・サイエンティフィック・プレス)、Vol.57、No.3、40ページ(1888年)。G.F. Williams の指示で行われた1887年のデビアス鉱山 運営に関する簡単なレポート。
Les Mines de Diamants [The Diamond Mines](ダイヤモンド鉱山)、L. Beauval、La Science Illustrée(ラ・サイエンス・イラストリー)、Vol.4、No.98、307-308ページ(1889年)。ダイヤモンド鉱山について、および南アフリカ産ダイヤモンドがヨーロッパの国際展示会でどのように展示されていたかについての簡単な説明。
Le Diamant dans l’Afrique Asutrale [The Diamonds of Southern Africa](南アフリカのダイヤモンド)、G.A. Daubrée、Journal des Savants、(12月号)、740-753ページ(1889年)。出版された書籍からの情報に基づいた、ダイヤモンド産地に関する再検討。同じ著者による似た内容の記事が、Cosmos(コスモス)、Vol.15、No.262、244-245ページ、No.263、271-273ページ、および No.264、299-300ページ(1890年)に掲載されています。
Diamond Mining(ダイヤモンド鉱山)、著者不明、Mining and Scientific Press(マイニング・アンド・サイエンティフィック・プレス)、Vol.54、No.19、279ページ、287ページ(1889年)。デビアス鉱山について、挿図付きで簡単に説明されています。
Kimberley and Its Diamonds(キンバリーとそのダイヤモンド)、著者不明、 Illustrated American(イラストレーティッド・アメリカン)、Vol.4、No.37、283-287ページ(1890年)。ダイヤモンド鉱山への訪問についての記述。
Diamond-Digging in South Africa(南アフリカのダイヤモンド採鉱)、H. Knollys、Blackwood’s Edinburgh Magazine(ブラックウッズ・エディンバラ・マガジン)、Vol.150、No.911、317-333ページ(1891年)。キンバリー近郊のダイヤモンド産地で働く鉱山労働者らの生活に関する記述。同じ記事が、 Littell’s Living Age(リテルズ・リビング・エイジ)、 Vol.191、No.2473、471-482ページ(1891年)にも掲載されています。
The Diamond Mines of South Africa(南アフリカのダイヤモンド鉱山)、V. Cornish、Knowledge Magazine(ナレッジ・マガジン)、Vol.14、(10月1日)、186-188ページ(1891年)。ダイヤモンド鉱山に関する簡単な説明。
Diamond Mining in South Africa(南アフリカのダイヤモンド採鉱)、G.D. Stonestreet、Engineering Magazine(エンジニアリング・マガジン)、Vol.1、No.5、579-591ページ(1891年)。キンバリー近郊におけるダイヤモンド採取に関する記述。
The Discovery of the South African Diamond Mines(南アフリカのダイヤモンド鉱山の発見)、J. Thorburn、Engineering and Mining Journal(エンジニアリング・アンド・マイニング・ジャーナル)、Vol.52、No.17、481-482ページ(1891年)。 1867年のダイヤモンド発見についての物語の簡単なおさらい。
Die Diamant-Gruben von Kimberley in Süd-Afrika [The Diamond Mines of Kimberley in South Africa(南アフリカ、キンバリーのダイヤモンド鉱山)]、B. Knochenhauer、Zeitschrift für das Berg-, Hütten- und Salinen-Wesen im Preussichen Staate、Vol.39、261-282ページ(1891年)。1889年および1890年にキンバリーへ訪問した体験に基づいた、キンバリー近郊の鉱山に関する説明。
Les Mines de Diamant de l’Afrique Australe [The Diamond Mines of Southern Africa](南アフリカのダイヤモンド鉱山)、M. Chaper、Revue Scientifique(レヴュー・サイエンティフィック)、Vol.49、No.10、289-296ページ(1892年)。ダイヤモンド産地に関する説明。
The Diamond Industry at Kimberley(キンバリーのダイヤモンド産業)、R. Churchill、Popular Science Monthly(ポピュラー・サイエンス・マンスリー)、Vol.41、(8月)、455-463ページ(1892年)。キンバリーのダイヤモンド採鉱事業に関して論じています。
The Kimberley Diamond Mines(キンバリーダイヤモンド鉱山)、W.H. Hazell、Hazell’s Magazine(ヘゼルズマガジン)、Vol.6、(9月)、255-257ページ(1892年)。ダイヤモンドが発見されてから25年後、ダイヤモンド産業により南アフリカで最も繁栄した町としてキンバリーを説明しています。
Recherches Minéralogiques sur les Gisements Diamantifères de l’Afrique Australe [Mineralogical Research on the Diamond Deposits of South Africa(南アフリカのダイヤモンド鉱床に関する鉱物学的研究)]、S. Meunier、Bulletin de la Société d’Histoire Naturelle d’Autun、Vol.6、153-202ページ(1893年)。ダイヤモンド鉱山で発見される様々な火成岩の研究。
The Story of the South African Diamond Mines(南アフリカのダイヤモンド鉱山の物語) 、J. Reid、Good Works(グッドワークス)、Vol.34、No.43、613-620ページ(1893年)。採鉱開始から最初の20年間の、キンバリー地域におけるダイヤモンドの採取に関する記述。
Puzzles from a Diamond Mine(ダイヤモンド鉱山のパズル) 、著者不明、Chambers’s Journal(チャンバーズ・ジャーナル)、Vol.10、No.490、310-312ページ(1893年)。プレミア鉱山とキンバリー鉱山のキンバーライト鉱石から興味深い発見があったことの記述。炭化し化石となった木材やダイヤモンド結晶の破片が全域で別々に発見され、再びそれらをまとめて形にできる可能性があると報告しています。
The Diamond Mines(ダイヤモンド鉱山) 、T. Reunert、“Illustrated Official Handbook of the Cape and South Africa(ケープ州および南アフリカの図解公式ハンドブック)、第 15章、323-356ページ(1893年)。ダイヤモンド産地の最初の25年の歴史および発展。
Diamonds and Gold in South Africa(南アフリカのダイヤモンドと金) 、 T. Reunert、J.C. Juta & Company(J.C. ジュタ&カンパニー)、 ケープタウン、242ページ(1893年)。南アフリカで使用される採鉱技術に関する説明。
The Mining Industries of South Africa, as Shown at the Kimberley Exhibition(キンバリー展示会で展示された南アフリカの採鉱産業)、B.H. Brough、Journal of the Society of Arts(ジャーナル・オブ・ザ・ソサエティ・オブ・アーツ)、Vol.41、No.2096、166-178ページ(1893年)。1892年の秋にキンバリーで開催された国際展示会では、ダイヤモンド採掘についての展示がありました。この記事は、ロンドンの著者が展示会について語ったときの講演内容が活字化されたものです。
James Shigley博士は、カリフォルニア州カールスバッドのGemological Institute of Americaの著名な研究員です。