歴史を読む:カリフォルニアのゴールドラッシュ
5月 29, 2017
1848年1月24日カリフォルニアのコロマを流れるアメリカン川のサウスフォーク(サクラメントから36マイル北東)のサッターズミルで、ジェームズ・マーシャルが金を発見しました。 金発見についての最初の記事は、サンフランシスコの新聞「The Californian(ザ・カリフォルニア)」に1848年3月15日付けで報道されました。 当初は高価な金属が地中から出てきたということに疑いを持たれ、そのニュースは信じられていませんでした。
最初の報道の後に確証が得られたため、金が出るという地帯に人々が殺到しはじめました。
米国内はもとより世界中の冒険家たちが、富をつかむためにカリフォルニアへやって来ました。 できる限り早くたどり着きたいという熱望と、大金を得るかもしれないという期待が混ざり合い、興奮が高まります。 自分の資産を抵当に入れて借金をしたり、コツコツ貯めた貯金をつぎ込んだりして、困難極まりない旅に出たのです。 しかし、幸運を手に入れたのはひと握りの人のみでした。
多くの人々が米国東部から出発し、以下の3つのルートを経由して旅をしました。
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船で中央アメリカへ渡り、陸路パナマ地峡を横断し太平洋側へ抜け、別の船でサンフランシスコへ(1850年当時で3〜5ヶ月)。
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船で南米のホーン岬を回りサンフランシスコへ(5〜8ヶ月)。
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米国内やメキシコからは、平野を横切り陸路で西方向へ(3〜4ヶ月)。
何千もの「探鉱者」が到着したことで、カリフォルニア領は加速度的に発展し、数年間で変化を遂げました(1850年には、アメリカ合衆国31番目の州として迎え入れられました)。 鉱区への入口となる採鉱キャンプや町は、サクラメントやストックトンといった内陸部にまで広がりました。 シエラネバダ山脈の西側沿いの採鉱や金の産出に関する記述が数多く報告され、後に多くの人が採鉱の功績についての記事を発行しています。
人々は、川や小川の中で沈殿物の入った長方形の箱を前後に揺らし、水の流れが軽いものをさらっていくのを利用したパニングという方法で、金を探しました。 後になると、高水圧ホースで丘の斜面からも金を含む土砂を流すようになりました。 最終的にはより大きな河川での浚渫が行われ、金の鉱石を掘るための地下抗も作られました。 カリフォルニアの金採鉱は1852年にピークを迎え、その後徐々に衰退していきました。
読書リストの使用方法
この読書リストは、カリフォルニアのゴールドラッシュの歴史について学ぶ機会をみなさんに提供するために編集されました。 これらの記事の多くは1800年代から1900年代初期に発行されたものですが、この時期、歴史的重要性が高い有名な宝石鉱床が多く発見され、宝石学や鉱物学が科学となりました。 このリストは、時代の経過とともに考察が深まっていく様子がよく分かるように、年代順に提示されています。 このリストは包括的ではありませんが、見過ごされ、忘れられがちな興味深い宝石学の情報がまとめられています。
記事の多くはすでに一般公開されており、Hathitrust、Internet Archive、またはその他のデジタルレポジトリなど、オンラインのデジタルライブラリで見つけることができます。 より最近の出版物については、Richard T. Liddicoat Gemological Library(リチャード・T.リディコート宝石学図書館)などの図書館に置いてあるものもあります。 これらの記事の要約は通常、ジャーナルや雑誌の出版社のウェブサイトに掲載されており、ほとんどの場合、記事全文をその出版社経由で購入できます。
GIA図書館の蔵書内容や現地へのアクセス方法については、カールスバッドのGIA図書館(library@gia.edu)までお問い合わせください。
Gold, Gold(金、金)著者不明、Scientific American(サイエンティフィック・アメリカン)、Vol. 4、No. 1、2ページ、(1848年) 「アメリカンフォーク川とフェザー川100マイルの範囲における広大な金の地層の発見」の出来事より、およそ6ヶ月後の初期のレポート。
The Golden Land(ゴールデンランド)著者不明、Scientific American(サイエンティフィック・アメリカン)、Vol. 4、No. 13、98ページ、(1848年) 「少し前に、カリフォルニアで金の山と、銀の流れる谷が発見されたという、とてつもない話がこの町に伝わってきました。 それを冗談だと思った人もいれば、投機的な目的のために騒ぎ立てられた噂だと信じる人もいました。後者だと信じた我々は、その罪を認めなければなりません。 少し前に、エルドラド渓谷へ向かうため船を捨てた船員たちや、家を捨てた住民たちの噂を聞きました。我々はただのデマであるかたちの悪いうわさか何かだと信じていました。 しかし、結局のところ、噂も時には真実を伝えることがあるようです。 カリフォルニアの黄金の丘は想像上のものではなく、実在する宝の山だったのです。」
Gold and Gold Washings(金と砂金採り)著者不明、Scientific American(サイエンティフィック・アメリカン)、Vol. 4、No. 15、114ページ、(1848年) 「カリフォルニアの金地帯はシエラネバダの両側に広がり、南にあるサンホアキン川の上流まで続いており、長さ400マイル、幅100マイルだと言われています。」金の発見と採鉱方法について説明した短い記事です。
California Gold(カリフォルニア ゴールド)著者不明、Scientific American(サイエンティフィック・アメリカン)、Vol. 4、No. 18、141ページ、(1849年) 「我々の町は、金のおかげで過去にないほどの盛り上がりを見せています。 先週は1日だけで、この港から10隻の船が出航しました。」あらゆるタイプの人々が金の産地へ旅立って行ったと記録されています。 「2か月間に少なくとも15万人ほどの移民がアメリカ各地からカリフォルニアへ移動するだろうと予測されています。」
Gold-Finding in California(カリフォルニアでの金発見)著者不明、Chambers’ Edinburgh Journal(チャンバーズ・エディンバラ・ジャーナル)、Vol.11、No.265、61〜62ページ(1849年) 欧州で最初に発行された、カリフォルニアのゴールドラッシュについての記述のひとつです。 1848年春の金の発見に続き、サクラメントの東の地域では 「どんな国の歴史上にもなかったほどに、金の発見で騒めく光景が見られました。 最初は流行り病のような妄想か誇張されすぎた話だろうと思っていました。アメリカの情報の多くが大げさだということは周知の事実ですから。しかしそうではありませんでした。カリフォルニアで文字通り金が出ているということが明らかになったとたん、人々は一斉に普通の生活を捨ててしまいました。」
「この金の発見は稀にみるたなぼたであり、これがアメリカや市民の永遠の利益となるかどうかについては、まだまだ分かりません。 歴史をみればわかりますが、金の発見が永久に続くうまい仕事になったという例はありません。 カリフォルニアの荒野での金拾いのおかげでアメリカが繁栄したとすると、これまでの秩序における例外となるでしょう。」
America(アメリカ)著者不明、Gentleman’s Magazine(ジェントルマンズ・マガジン)、Vol. 186(2月)、192ページ、(1849年) 「北カリフォルニアの平野で発見された豊富な金により、アメリカはヨーロッパをも巻き込んで、興奮の渦に投げ込まれた」 という出だしで始まる、ゴールドラッシュについての簡潔なレポートです。
The Gold-Washings of California(カリフォルニアの砂金採り)著者不明、New Monthly Magazine(ニュー・マンスリー・マガジン)、 Vol. 85、No. 338、252〜254ページ、(1849年) サンフランシスコ在住のEdwin Bryantによる、金を求めてやってきた者たちのカリフォルニアでの定住についての記事です。
Account of the Gold Region(金地帯についての記述)著者不明、Littell’s Living Age(リテルズ・リビング・エイジ)、Vol. 20、No. 248、305〜308ページ、(1849年) 1848年の夏にニューオーリンズからサンフランシスコを訪れ、サッターズミル付近で金の採掘を行った新聞記者による記述です。
The Apoplexy of Gold(金の卒中)著者不明、Littell’s Living Age(リテルズ・リビング・エイジ)、Vol. 20、No. 249、371ページ、(1849年) 金の発見によってもたらされた熱狂的な興奮について語られています。
California Fever in England(英国のカリフォルニアフィーバー)著者不明、Littell’s Living Age(リテルズ・リビング・エイジ)、Vol. 20、No. 249、371〜372ページ、(1849年) カリフォルニアに運試しへ行く人のための船の手配をする、イギリスの新聞広告について語られています。
Observations on California(カリフォルニアについての考察)C.S. Lyman著 American Journal of Science(アメリカン・ジャーナル・オブ・サイエンス)、 Vol. 7、No. 20、290〜292ページ、305〜309ページ(1849年) 1848年の夏と秋に金産地を訪問した著者による、一連の手紙からなるレポートです。 同じ著者による似た記事:Philosophical Transactions(フィロソフィカル・トランザクション)、Vol. 35、 No. 238、470〜474ページ、(1849ページ)
California(カリフォルニア)著者不明、Gentleman’s Magazine(ジェントルマンズ・マガジン)、Vol. 186、529ページ、(1849年) ゴールドラッシュ、およびパナマに到着した大量の金を運ぶ船についての簡潔なレポートです。
California Ruin(カリフォルニアの残骸)著者不明、Scientific American(サイエンティフィック・アメリカン)、Vol. 4、No. 41、322ページ、(1849年) カリフォルニアへの旅と金採鉱キャンプでの生活における難しさと危険性について説明しています。
The Gold-Finders – A Vision of California(金探索者たち-カリフォルニアの幻想) J.E.Carpenter著、New Monthly Magazine(ニュー・マンスリー・マガジン)、Vol. 86、No. 343、302〜303ページ、(1849年) ゴールドラッシュについての詩です。
California(カリフォルニア)著者不明、Littell’s Living Age(リテルズ・リビング・エイジ)、Vol. 23、No. 284、152〜153ページ、(1849年) 「ヨーロッパで革命が沸き起こる中でさえ、アメリカ西海岸で起こったことがこの時代の偉大な出来事だと思われます。」
「朝早くから夜遅くまでしっかり働くこと、炎天下で泥まみれになって働くこと、自分の飯を作ること、自分のことを自分でやること、固い地面で眠ること、体を壊すリスクを負うこと、山積みの困難に耐えること。これができないなら、カリフォルニアへ行こうなどと考えるべきではありません。」
「多くの人たちは失望のみを抱え、来た時よりもはるかに少ない所持金で、パナマを渡るかホーン岬を回って帰国することになるでしょう。 良い暮らしを捨て、全てを売り払いカリフォルニアへ移住する前に、富を夢見てやみくもに貧困へと走り出すのではなく、男性諸君はそのコストをよく考えるべきだ。
The California Mystery in England(イギリスのカリフォルニアミステリー)著者不明、Littell’s Living Age(リテルズ・リビング・エイジ)、Vol. 23、No. 284、153〜155ページ、(1849年) アメリカとヨーロッパから冒険好きな群衆が旅に出て12か月近くが経つというのに、その神秘の土地の明確な状況について満足いく説明はついていないと言っていいでしょう。 たくさんの船がサンフランシスコに向けて出航しました。世界の半分の船が、続々とサンフランシスコをめざしています。 その魅力的なカリフォルニアの状況の確かな情報を得ようとしても、最初に金が発見された時と同じようなうすぼんやりとした情報しか得られません。」
「川と峡谷には金が多くあるのは疑いようがなく、枯れることなく湧き出るように思るほどです。地表面近くでこれほど多くの純粋な金を過去に見たことがありません。」
California News – Gold, Gold!(カリフォルニア ニュース-金だ、金だ!)著者不明、Scientific American(サイエンティフィック・アメリカン)、Vol. 5、No. 9、66ページ、(1849年) 赤みがかったクォーツの中に見える金脈の発見に関するレポートです。
Extraordinary Discovery in California(カリフォルニアの驚くべき発見)著者不明、Scientific American(サイエンティフィック・アメリカン)、Vol. 5、No. 11、82ページ、(1849年) 古代の人々によって山中200フィートにわたり作られた、Murphy’s Diggings(マーフィーズ ディギングス)と呼ばれる地下抗の発見についてのレポートです。
Houses for California(カリフォルニアの家)著者不明、Littell’s Living Age(リテルズ・リビング・エイジ)、Vol. 23、No. 290、450〜451ページ、(1849年) 「金フィーバーの下でカリフォルニアでの定住が急速に進み、目的地に着いてすぐに組み立てられるよう、ありとあらゆる資材を乗せて運ぶ奇妙な様子がよくみられました。」
Étude Comparative des Sables Aurifères de la Californie, de la Nouvelle-Grenada et de l’Oural (Comparative Analysis of the Gold-Bearing Sands of California, New Grenada (Colombia) and the Urals (Russia))(カリフォルニア、ニューグレナダ(コロンビア)、ウラル山脈(ロシア)の金含有砂の比較分析)A. Dufrénoy著、Journal et Annales des Mines、シリーズ 4、Vol. 16、111〜126ページ、(1849年) フランスの有名な鉱山地質学者による、3つの金鉱床の比較研究です。
The Gold Seeker’s Manual(金探求者マニュアル)著者不明、Punch Magazine(パンチ・マガジン)、Vol.16、64ページ(1849年)
「金探しに向いている人:命以外は失うものが無い者。でもカリフォルニアで失う可能性が高いので、できるなら命なしでスタートするほうが良いかもしれない。
持っていかないほうが良い物:快適さを測る水準、文明の感覚、食欲、良心、他人への尊敬の念、自分の価値感。
あると便利な物:リボルバー銃、銃で打たれた傷を手当する知識、他人と寝床を共にする辛抱強さ、自分の物は自分の物・他人の物も自分の物という気合、金の塵を食べたり飲んだりまみれたりする根性。
現地で出会うであろう人たちのタイプ:米国は狭すぎると言う人、英国は暑すぎると言う人、金を探す人、金を見つけた者から金を巻き上げようとする人。
採鉱地に到着したときにできるもっとも賢いこと:故郷へ帰る。
金で儲ける最高の方法:安値で仕入れ、欲しがる人に法外な値段で売りつける。」
On the California Gold Region(カリフォルニアのゴールド地帯) C.S.Lyman著、Edinburgh Philosophical Journal(エディンバラ・フィロソフィカル・ジャーナル)、Vol.48、No.95、151〜157ページ(1850年) 地形や金の産出について説明されています。
Gold Region of California(カリフォルニアのゴールド地帯)著者不明、Scientific American(サイエンティフィック・アメリカン)、Vol. 5、No. 29、226ページ、(1850年) 金の地帯は「シエラネバダ山脈のラインに続き、長さ400〜500マイル、幅40〜50マイル」と記載されています。金の産出についても説明されています。
Crystallized Gold from California(カリフォルニアの金の結晶)F. Alger著、American Journal of Science(アメリカン・ジャーナル・オブ・サイエンス)、Vol.60、No.28、101~106ページ(1850年) この記事には、最大0.75インチの大きさのものを含む、数点の珍しい金の結晶が掲載されています。 これらの結晶の正確な起源は明らかになっていませんが、鉱区を出て数々の購入者の手に渡り、サンフランシスコへ戻ってきました。 1850年12月3日に行われた著者によるプレゼンテーションの要約:Proceedings of the American Academy of Arts and Sciences(プロシーディングス・オブ・ジ・アメリカン・アカデミー・オブ・アーツ・アンド・サイエンス)、Vol. 2、246~250ページ、(1852年)
State and Prospects of California(カリフォルニアの状況と展望)著者不明、Chambers’ Edinburgh Journal(チャンバーズ・エディンバラ・ジャーナル)、Vol.14、No.340、11〜15ページ(1850年)。 カリフォルニアへのルートや採鉱キャンプの状況など、ゴールドラッシュの初期について説明されています。
California – The Gold Hunters(カリフォルニア - ゴールドハンター)著者不明、Eclectic Magazine(エクレクティック・マガジン)、Vol. 21、No. 3、289〜301ページ、(1850年) この記事は、1849年にカリフォルニアの金鉱で働いていた2人のゴールドハンターが、彼らの経験を書いて出版した本の概要です。
The Age of Gold(ゴールドの時代)著者不明、Scientific American(サイエンティフィック・アメリカン)、Vol. 6、No. 20、155ページ、(1851年) ゴールドラッシュが引き起こしたカリフォルニアの発展について説明されています。 1846年には5千人に満たない人口であったサンフランシスコに世界中から船が押し寄せ、人口はおよそ50万人にまで膨れ上がりました。 「世界的な歴史をみても、この太平洋岸の資源の開発と進歩の速さは類を見ないものです。」
The Age of Gold(ゴールドの時代)著者不明、Scientific American(サイエンティフィック・アメリカン)、Vol. 7、No. 52、410ページ、(1852年) 「カリフォルニアの金の発見は国家の運命に大きな影響を与え、今も与え続けています。」
On the Gold Regions of California(カリフォルニアのゴールド地帯にて) J.S.Wilson著、Quarterly Journal of the Geological Society of London(クォータリー・ジャーナル・オブ・ザ・ジオロジカル・ソサエティ・オブ・ロンドン)、Vol.10、No.1、308〜321ページ(1854年) 金の産地に約3年間居住した著者の経験に基づき、シエラネバダ山脈のふともに沿った数々の地域での金の産出について記述しています。
Geology – Gold(地質学 - 金)著者不明、Scientific American(サイエンティフィック・アメリカン)、Vol. 10、No. 7、51ページ、(1854年) カリフォルニアの金の地質起源に関連する、いくつかの考え方が記載されています。
California through English Eyes(イギリス人が見たカリフォルニア)著者不明、Harper’s New Monthly Magazine(ハーパーズ・ニュー・マンスリー・マガジン)、Vol. 11、No. 61、18〜33ページ、(1855年) あるイギリス人がカリフォルニア州まで、そして同州の他の地域へ旅行した経験を書いた書籍の要約です。
Observations on the Extent of the Gold Region of California and Oregon(カリフォルニアおよびオレゴンのゴールド地方一帯の観察報告) W.P.Blake著、American Journal of Science and Arts(アメリカン・ジャーナル・オブ・サイエンス・アンド・アート)、Ser. 2、 Vol. 70、No. 58、72〜85ページ、 (1855年) 地質学者の著者により、カリフォルニアの金地帯について、はじめて地質学的に説明している記述のうちのひとつです。 同記事の掲載:Mining Magazine(マイニング・マガジン)、Vol. 5、No. 1(7月)、32〜45ページ、 (1855年)
Mines and Mining in California(カリフォルニアの鉱山と採鉱) J.B.Trask著、Mining Magazine(マイニング・マガジン)、Vol. 5、No. 3、193〜215ページ、(1855年) この記事では、カリフォルニアにおける金の砂鉱床採鉱の技術について記載されています。
Mining for Gold in California(カリフォルニアの金採鉱)著者不明、Hutchings’ California Magazine(ハッチングス・カリフォルニア・マガジン)、Vol. 2、No. 1、2〜14ページ、(1857年) この記事では、金を発見し採取するために用いられた採鉱用ツールと手法について説明されています。
「達成の喜び、悦楽、偉業、勝利といった夢のような幻想をいだいた多くの人々が、金の産地へ足を向けることとなりました。 当然彼らの限られた知識ではそれがどんなものかはあいまいで、明確ではありませんでした。なぜなら、カリフォルニアでの暮らしぶり、労働の内容、鉱山での作業方法についてほとんど知られていなかったからです。 多くの文献やイラストが公開されている今でさえ、鉱山を訪れたことがない人は、その地がどのようなものであるか、また作業がどのようなものであるか、全くわかっていません。」
The Discovery of Gold in California(カリフォルニアの金発見)著者不明、Hutchings’ California Magazine(ハッチングス・カリフォルニア・マガジン)、Vol. 2、No. 5、193〜202ページ、(1857年) ジョン・サッターとジェームズ・マーシャルによって書かれた、金の発見についての個人的な記述です。
Die Placeres und Goldführenden Gänge Californiens (The Placers and Gold-Bearing Rocks of California)(カリフォルニアの砂鉱床と金含有岩)Ramdohr(名不明)、 C.F.Riehn共著、Zeitschrift für das Berg-、 Hütten- und Salinenwesen in dem Preussischen Staate、Vol. 4、104〜132ページ、(1857年) 金の砂鉱床および鉱床について説明されています。
California Gold(カリフォルニアの金) A.P.Molitor著、Hutchings’ California Magazine(ハッチングス・カリフォルニア・マガジン)、Vol. 4、No. 5、212〜217ページ、(1859年) カリフォルニアで発見された一般的な金についての説明がされています。
How We Got Gold in California, by a Miner in the Year ’49(1849年の鉱夫が教える、カリフォルニアで金を手に入れる方法) W.V.Wells著、New Monthly Magazine(ニュー・マンスリー・マガジン)、Vol. 20、No. 119、598〜616ページ、(1860年) 金発見後の10年間に、カリフォルニアで金を取り出すために使用された手法についての説明です。
Terrains Aurifères de la Californie (Gold-Bearing Terrains of California)(カリフォルニアの金埋蔵地帯)P. Laur著、Revue des Deux Mondes、Vol. 43、453〜472ページ、(1863年) この記事では、カリフォルニアでの金の採鉱と取り出しについて説明されています。 英語記事の要約:Mechanic’s Magazine(メカニックス・マガジン)、Vol. 78、(2月13日)、112〜114ページ、および(3月6日)、169〜172ページ、(1863年)
California Mining in 1862(1862年のカリフォルニア採鉱)著者不明、Scientific American(サイエンティフィック・アメリカン)、Vol. 8、No. 9、135ページ、(1863年) 鉱床の産状の変化により、金の採鉱技術の革新について述べられています。水圧ホースや水銀化合物の使用、爆破などが含まれます。
Gold-Mining in California(カリフォルニアの金採鉱)著者不明、Scientific American(サイエンティフィック・アメリカン)、Vol. 10、No. 8、118ページ、(1864年) 金の採鉱方法や機器の革新について簡潔に説明されています。
“Gold Mines and Mining in California”(カリフォルニアの金鉱山と採鉱) J.S.Hittell,G. および G.E.Desbarats共著、 Quebec(ケベック)、45ページ、(1864年) この短い書籍には、カリフォルニアで金を取り出すために使用された手法についての説明が含まれています。
Les Placers de la Californie (The Placers of California)(カリフォルニアの砂金採取場)L. Simonin著、Revue des Cours Scientifiques de la France et de l’Étranger、Vol. 4、No. 20、311〜318ページ、(1867年) カリフォルニアの金の砂鉱床鉱山について説明されています。
Gold Mining in California(カリフォルニアの金採鉱)著者不明、Scientific American(サイエンティフィック・アメリカン)、Vol. 18、No. 13、194〜195ページ、(1868年) 埋没した古代の川床に沿った金の採鉱について説明されています。 金を含有する堆積物が圧縮されているために、金を取り出すためにまずは鉱石を粉砕しなければならないこともありました。
Gold in California(カリフォルニアの金) J.A.Phillips著、Quarterly Journal of Science(クォータリー・ジャーナル・オブ・サイエンス)、Vol. 5、(7月)、314〜323ページ、(1868年) 南はテホン峠から州の北端までにわたる、シエラネバダ山脈の西側斜面に沿った地帯の金の産状について説明されています。
Notes on the Chemical Geology of the Goldfields of California(カリフォルニアの金鉱地における化学地質学の記録) J.A. Phillips著、London, Edinburgh and Dublin Philosophical Magazine and Journal of Science(ロンドン、エディンバラ、ダブリン・フィロソフィカルマガジン・アンド・ジャーナルオブサイエンス) Ser. Ser.4、Vol. 36、No. 244、321〜336ページ、および No. 245、422〜438ページ、(1868年) 著者が当地を訪問した経験に基づき、金の産地について説明しています。
Charakterbilder aus den kalifornischen Goldgegenden(Character Sketches of the California Gold Areas)(カリフォルニア金エリアの特徴とスケッチ)L. Simonin著、Charakterbilder der Erd- une Völkerkunde、Vol. 1、186〜192ページ、(1868年) この記事では、カリフォルニアと金の産地における生活について、数々のイラストが掲載されています。
Die Goldlagerstätten Kaliforniens(The California Gold Deposits)(カリフォルニアの金鉱床)D. Burkhard著、Neues Jahrbuch für Mineralogie, Geologie, und Palaeontologie、21〜50ページ、および128〜182ページ、(1870年) 漂砂金鉱床について、地質学的に説明されています。
A Gold-Digger’s Story(金採鉱者の物語)G. Fullerton著、Temple Bar(テンプル・バー)、Vol. 28、(2月)、349〜358ページ、(1870年) ゴールドラッシュについての詩です。
Hydraulic Mining in California(カリフォルニアの水圧採鉱)著者不明、Engineering and Mining Journal(エンジニアリング・アンド・マイニング・ジャーナル)、Vol. 19、No. 10、145〜146ページ、No. 11、161〜163ページ、No. 12、181〜183ページ、No. 14、 221〜223ページ、No. 15、241〜243ページ、No. 16、265〜266ページ、(1875年) カリフォルニアにおける水圧を用いた金の採鉱方法が、数点のイラストを用いて説明されています。
Hydraulic Mining in California(カリフォルニアの水圧採鉱) A.J.Bowie著、Transactions of the American Institute of Mining Engineers(トランザクションズ・オブ・ジ・アメリカン・インスティテュート・オブ・マイニング・エンジニアズ)、Vol.6、(5月)、27〜100ページ、(1877年) この記事では、シエラネバダ山脈のふもとにおける金の水圧採鉱の詳細が説明されています。
The Reminiscences of a Gold-Hunter(ゴールド・ハンターの回想) W.H.Thomes著、Ballou’s Monthly Magazine(バルーズ・マンスリー・マガジン)、Vol. 56、No. 3、213〜225ページ、(1882年) 金を手に入れるためにカリフォルニアへ渡る船を購入した、ニューイングランドのグループの経験談です。
Gold and California(金とカリフォルニア)T. Donaldson著、International Review(インターナショナル・レビュー)、Vol. 13、(10月)、309〜321ページ、(1882年) ゴールドラッシュがもたらしたカリフォルニアの発展における経済的、社会的効果について説明します。
Hydraulic Mining in California(カリフォルニアの水圧採鉱)T. Evans著、Century Magazine(センチュリー・マガジン)、Vol. 25、No. 3、325〜338ページ(1883年) カリフォルニアで金を取り出すために使用された水圧や他の採鉱技術についての説明です。
Ueber die Goldgewinnung in Kalifornien(About the Gold Recovery in California)(カリフォルニアでの金採取について) E. Meyer著、Zeitschrift für das Berg-, Hütten- und Salinenwesen in dem Preussischen Staate、Vol. 34、1〜28ページ、(1886年) カリフォルニアの金採鉱についての批評です。
Old Times in California(古きカリフォルニア) W.T.Sherman著、North American Review(ノース・アメリカン・レビュー)、Vol. 148、No. 388、269〜279ページ、(1889年) 後に南北戦争で有名な司令官となった著者は、1840年代後半にカリフォルニアの軍の武官を務め、1848年に金が発見されたことを正式に確認した軍政府検査官の一人でした。 この記事では、カリフォルニア初期の歴史と金の発見が説明されています。
Life in California Before the Gold Discovery(金発見以前のカリフォルニアの生活)J. Tidwell著、Century Magazine(センチュリー・マガジン)、Vol. 41、No. 2、163〜183ページ、(1890年)および Frémont in the Conquest of California( Frémontのカリフォルニア征服)、Century Magazine(センチュリー・マガジン)、Vol. 41、No. 4、518〜525ページ、(1891年) 同じ著者による2件の記事には、1人の人間が1841年にカリフォルニアに着いたときから始まる1840年代のカリフォルニアの歴史が書かれています。
The Discovery of Gold in California(カリフォルニアにおける金の発見) J.S.Hittell著、Century Magazine(センチュリー・マガジン)、Vol. 41、No. 4、525〜536ページ、(1891年) サッターズミルでの金の発見に関係した人たちからの記録に基づき、その歴史について詳しく述べられています。
The Conquest of California(カリフォルニアが得たもの) J.C.Frémont著、Century Magazine(センチュリー・マガジン)、Vol. 41、No. 6、917〜928ページ、(1891年) 著名な探検家が、1840年代のカリフォルニアの歴史について詳しく述べています。
Californiana(カリフォルニア) E.C.Kemble著、Century Magazine(センチュリー・マガジン)、Vol. 41、No. 4、537〜539ページ、(1891年) サッターズミルでの金の発見についての実体験の記述です。
Geology of the Mother Lode Gold Belt(母鉱脈ゴールドベルトの地質学) H.W.Fairbanks著、American Geologist(アメリカン・ジオロジスト)、Vol. 7、No. 4、209〜222ページ、(1891年) 金産地の地質学的な説明がされています。
Pioneer Mining in California(カリフォルニアの鉱山開拓) E.G.Waite著、Century Magazine(センチュリー・マガジン)、Vol. 42、No. 1、127〜141ページ(1891年) ゴールドラッシュに加わったある個人による金採鉱についての記述です。
Cape Horn and Cooperative Mining in ’49,(ホーン岬と1849年の共同採鉱) W.B.Farwell著、Century Magazine(センチュリー・マガジン)、Vol. 42、No. 4、579〜594ページ、(1891年) この記事は、ニューイングランドの150名が合資会社を設立し、船を購入してホーン岬を通り、カリフォルニアの金の産地を目指したことについて書かれています。
The Old California Prospector(古きカリフォルニアの探鉱者)D. de Quille著、Engineering and Mining Journal(エンジニアリング・アンド・マイニング・ジャーナル)、Vol. 52、No. 20、56〜568ページ、(1891年) 金の探鉱者の1850年代と1860年代の回想です。
To California by Panama in ’49(1849年パナマ経由カリフォルニア行き) J.H.Pratt著、Century Magazine(センチュリー・マガジン)、Vol. 41、No. 6、901〜917ページ、(1891年) この記事では、ニューヨークシティから中央アメリカへの海の旅、パナマのパナマ地峡の陸路横断の旅、さらにサンフランシスコの金産地を目指す北への航海について説明しています。
California’s Discovery of Gold in 1841(1841年のカリフォルニアの金発見)J. Murray著、Overland Monthly(オーバーランド・マンスリー)、 Ser.2、Vol. 19、No. 113、524〜529ページ、(1892年) サクラメント北部での1848年の公式な発見から数年さかのぼった1841年に、南カリフォルニアで発見された少量の金について、ニューヨーク在住の銀行員である著者が記したレポートです。
Auriferous Gravels of the Sierra Nevada(シエラネバダの含金砂礫) H.W.Turner著、American Geologist(アメリカン・ジオロジスト)、Vol. 15、No. 6、371〜379ページ、(1895年) この記事では、シエラネバダの斜面に沿った金含有砂礫の地質学的な説明がされています。
Characteristic Features of California Gold-Quartz Veins(カリフォルニアの金石英鉱脈の特徴)W. Lindgren著、Geological Society of America Bulletin(ジオロジカル・ソサエティ・オブ・アメリカ・ブレティン)、Vol. 6、No. 1、221〜240ページ(1895年) この記事では、金石英鉱脈鉱床の地質学的な説明がされています。
The Age of the Auriferous Gravels of the Sierra Nevada(シエラネバダの含金砂礫の年代)W. Lindgren著、Journal of Geology(ジャーナル・オブ・ジオロジー)、Vol. 4、No. 8、881〜906ページ、(1896年) この研究では、シエラネバダ山脈の他の岩石と関連して、含金砂礫の地質学的な年代の評定を試みています。
1898年は、ジェームズ・マーシャルによって金が発見されてから50年目です。 歴史的な出来事を祝し、その年には数々の記事が発行されました。
California’s Jubilee – The Semi-Centennial of Gold(カリフォルニアの祝典 - 金の50周年) S.G.Wilson著、Overland Monthly(オーバーランド・マンスリー)、Vol. 31、No. 182、165〜170ページ、(1898年) この記事では、カリフォルニア開拓者協会が、州の歴史や1849年からの金探鉱者たちが組織の中で果たした重要な役割についての貴重な資料を保護保管してきた働きについて書かれています。
The Discovery of Gold in California(カリフォルニアの金発見)M. Bellamy著、Overland Monthly(オーバーランド・マンスリー)、Vol. 31、No. 182、161〜164ページ、(1898年) サッターズミルでの金発見に関する出来事について説明されています。
Early Days on the Golden Yuba(昔のゴールデン・ユバ) H.L.Wells著、Pacific Monthly(パシフィック・マンスリー)、Vol. 1、No. 3、261〜263ページ(1898年) カリフォルニアのユバ川に沿った金採鉱の回想です。
Mining for Gold in the Auriferous Gravels of California, U.S.A(米国カリフォルニア、含金砂礫からの金採鉱) G.K.Radford著、Transactions of the Institution of Mining Engineers(トランザクションズ・オブ・ジ・インスティテュート・オブ・マイニング・エンジニアズ)、Vol. 17、(5月26日)、452〜481ページ、(1899年) この記事では、カリフォルニアで採用されていた、砂礫の沈殿物から金を回収する方法の詳細について説明されています。
Origin and Age of Certain Gold “Pocket” Deposits in Northern California(北カリフォルニアにおける金の「鉱石塊」鉱床の起源と年代) O.H.Hershey著、American Geologist(アメリカン・ジオロジスト)、Vol. 24、No. 1、38〜43ページ、 (1899年) 北カリフォルニアのトリニティ郡にある金鉱床の地質環境について説明されています。 同じ著者による当記事の要約:Mining and Scientific Press(マイニング・アンド・サイエンティフィック・プレス)、Vol. 101、No. 23、741〜742ページ、(1910年)
Gold-Bearing Lodes of the Sierra Costa Mountains in California(カリフォルニア、シエラコスタ山脈の含金鉱脈) O.H.Hershey著、American Geologist(アメリカン・ジオロジスト)、Vol. 25、No. 2、76〜96ページ、(1900年) カリフォルニア北西部にあるクラマス山脈の鉱山地帯について説明されています。
The Mother Lode Region of California(カリフォルニアの母鉱脈地帯) W.H.Storms著、California State Mining Bureau(カリフォルニア・ステート・マイニング・ビューロー)、No. 18、154ページ、(1900年) シエラネバダ山脈の西側に沿う母鉱脈ゴールドベルトの詳細について説明されています。
Observations on Mother Lode Gold-Deposits, California(カリフォルニアの母鉱脈金鉱床の観察) W.A.Prichard著、Transactions of the American Institute of Mining Engineers(トランザクションズ・オブ・ジ・アメリカン・インスティテュート・オブ・マイニング・エンジニアズ)、Vol. 34、454〜466ページ、(1904年) アマドール、カラベラス、トゥオルミ郡を通る全長100マイル以上の金鉱床について説明されています。
The Eldorado of the Great West(大西部のエルドラド)A. Williams著、The Romance of Mining(ザ・ロマンス・オブ・マイニング)、 C.A.Pearson Ltd、 ロンドン、44〜68ページ、(1905年) 当書籍のこの章では、カリフォルニアでの金採鉱事業の歴史と発展について説明されています。
Largest Hydraulic Gold Mine in the World(世界最大の水圧金鉱山) H.H.Livingston著、Technical World Magazine(テクニカル・ワールド・マガジン)、Vol. 7、No. 5、537〜541ページ、(1906年) カリフォルニアのトリニティ郡の水圧鉱山についてのレポートです。
Gold-Dredging Practice in California(カリフォルニアの金の浚渫作業)R. Sibley著、Engineering and Mining Journal(エンジアリング・アンド・マイニング・ジャーナル)、Vol. 85、No. 22、1083〜1088ページ、(1908年) カリフォルニアのユバや他の河川に沿った、金の浚渫について説明されています。
Possibilities of the Mother Lode in Depth(母鉱脈が深部に存在する可能性) W.H.Storms著、Engineering and Scientific Press(エンジニアリング・アンド・サイエンティフィック・プレス)、Vol. 102、No. 21、646〜648ページ、(1911年) シエラネバダ山脈のふもとに沿った、金の豊富な初生鉱床の可能性についての論文です。
The Tertiary Gravels of the Sierra Nevada of California(カリフォルニア、シエラネバダの三次砂礫)W. Lindgren著、 U.S.Geological Survey Professional Paper(米国ジオロジカル・サーベイ・プロフェッショナル・ペーパー)、No. 733、226ページ、(1911年) この専門的な論文では、シエラネバダ山脈沿いの金の地質学的起源およびその分布について説明されています。 記事の要約:Science Magazine(サイエンス・マガジン)、Vol. 44、No. 1141、686〜687ページ、(1916年)
Dredging for Gold in California(カリフォルニアの金浚渫) L.H.Eddy著、Engineering and Mining Journal(エンジニアリング・アンド・マイニング・ジャーナル)、Vol. 92、No. 2、65-69ページ、(1911年) 砂鉱床の浚渫は、主にビュート、ユバ、サクラメント郡で行われました。
The California Gold Dredge(カリフォルニアの金浚渫) R.E.Cranston著、Engineering and Mining Journal(エンジニアリング・アンド・マイニング・ジャーナル)、Vol. 93、No. 7、359〜363ページ、No. 8、417〜420ページ、No. 9、455〜458ページ、No. 10、507〜511ページ、(1912年) カリフォルニアの河川で使用された浚渫技術について説明されています。
Northern California Gold Dredging(北カリフォルニアの金浚渫) L.H.Eddy著、Engineering and Mining Journal(エンジニアリング・アンド・マイニング・ジャーナル)、Vol. 93、No. 12、607〜610ページ、(1912年) シスキュー郡の金浚渫についての短いレポートです。
The Mother Lode Region, California(カリフォルニアの母鉱脈地帯) L.H.Eddy著、Engineering and Mining Journal(エンジニアリング・アンド・マイニング・ジャーナル)、Vol. 95、No. 8、405〜410ページ、(1913年) シエラネバダ山脈のふもと、5つの群にまたがり北西方向に延びている、長さ約70マイル、幅3〜6マイルの母鉱脈地帯についての説明です。
Marshall’s Discovery of Gold(マーシャルによる金の発見) R.B.Mason著、Overland Monthly(オーバーランド・マンスリー)、Vol. 68、No. 6、479〜491ページ、(1916年) 1848年の夏にカリフォルニアの金砂鉱床鉱山へ訪問した際の、政府の公式報告書の再発行です。
Gold Mining in California(カリフォルニアの金採鉱) G.J.Young著、Engineering and Mining Journal(エンジニアリング・アンド・マイニング・ジャーナル)、Vol. 109、No. 7、439〜447ページ(1920年) 水流を利用した作業や砂金採集、水圧採鉱の衰退が予測されていた当時のカリフォルニアの金採鉱の状態を振り返ります。
Largest Capacity Gold-Mining Dredge in the World(世界最大級の金採鉱浚渫) H.G.Peake著、Engineering and Mining Journal(エンジニアリング・アンド・マイニング・ジャーナル)、Vol. 109、No. 20、1106〜1109ページ、(1920年) トリニティ郡で行われた大規模な浚渫作業について説明されています。
James W. Marshall, Discoverer of Gold(ジェームズ W. マーシャル 金の発見者) P.B.Bekeart著、Society of California Pioneers Quarterly(ソサエティ・オブ・カリフォルニア・パイオニア・クォータリー)、Vol. 1、No. 3、3〜43ページ、(1924年) 出版情報不明。
Discovery of Gold in California(カリフォルニアにおける金発見) T.A.Rickard著、University of California Chronicle(ユニバーシティ・オブ・カリフォルニア・クロニカル)、Vol. 30、No. 2、141〜169ページ(1928年) 出版情報不明。
Gold – The Key to the West(ゴールド - 西部への鍵)H. Dye著、Overland Monthly(オーバーランド・マンスリー)、Vol. 86、No. 6、176 および 190ページ、(1928年) 1847年のカリフォルニアでの金の発見は、米国西部が発展する主な要因となりました。
The Mother Lode System of California(カリフォルニアの母鉱脈システム)A. Knopf著、US Geological Survey Professional Paper(米国ジオロジカル・サーベイ・プロフェッショナル・ペーパー)、No. 157、88 ページ、(1929年) この専門的な論文では、母鉱脈の地質環境が説明されています。
The Mother Lode Country(母鉱脈の国) O.P.Jenkins著、(Ed.)、California Division of Mines Bulletin(カリフォルニア・ディヴィジョン・オブ・マインズ・ブレティン)、No. 141、164ページ、(1948年) 母鉱脈のゴールドベルトに沿って走る州道49号沿いの地域の地質学ガイドブックです。
The Discovery of Gold in California(カリフォルニアの金発見) D.C.Cutter著、California Geology(カリフォルニア・ジオロジー)、Vol. 34、No. 6、125〜128ページ、 (1981年) この短い記事では、カリフォルニアにおける金の発見についてまとめられています。
Gold Mining Activity in California(カリフォルニアの金採鉱活動) R.C.Loyd、D. Bane著、California Geology(カリフォルニア・ジオロジー)、Vol. 34、No. 8、169〜174ページ、(1981年) この記事では、1848年から1980年までの金の産出についてを振り返ります。
History of Mining and Milling Methods in California(カリフォルニアの採鉱・粉砕法の歴史) C.A.Logan著、California Geology(カリフォルニア・ジオロジー)、Vol. 34、No. 9、193〜196ページ、(1981年) この記事では、砂鉱床および石英鉱脈から金を回収するために用いられた採鉱方法について説明されています。
California Gold(カリフォルニア ゴールド)W. Leicht、D. Leicht著、Lapidary Journal(ラピダリー・ジャーナル)、Vol. 44、No. 12、26〜48ページ、(1991年) この記事には、カリフォルニアで発見された最も有名な金の標本写真と、それらが発見された鉱山の情報が掲載されています。
A Glimpse of Life in the Gold Country(ゴールドカントリーでの生活)J. Doble著、California Geology(カリフォルニア・ジオロジー)、Vol. 47、No. 4、104〜115ページ、(1994年) この記事には、1850年代初期にカリフォルニアへ旅をし金産地で働いた、ニューヨーカーの日記の抜粋が掲載されています。
Specimen Gold Mines of California: An Overview of Notable Localities and Specimens(カリフォルニアの金鉱山の金標本:代表的な産地と標本の概要)W. Leicht および D. Leicht共著、Rocks & Minerals(ロックス&ミネラルズ)、 Vol. 69、No. 6、371〜378ページ、(1994年) この記事には、華々しいカリフォルニアの金の標本の写真が数多く掲載されています。
Mining the Malakoff: An Overview(マラコフの採鉱:概要)R. Peterson著、 International California Mining Journal(インターナショナル・カリフォルニア・マイニング・ジャーナル)、Vol. 65、No. 9、43〜48ページ、(1996年) 1851年から1884年の間に稼働していたネバダシティの近くにあるMalakoff Diggings(マラコフディギングス)は、世界で最大かつ最も豊かな水圧金鉱山でした。
The Ironic Tragedy of James Marshall(ジェームズ・マーシャルの悲劇)著者不明、International California Mining Journal(インターナショナル・カリフォルニア・マイニング・ジャーナル)、Vol. 66、No. 5、18〜23ページ、(1997年) 1848年にサッターズミルで金を発見したこの男性は、カリフォルニアのゴールドラッシュの恩恵を受けることなく、多くの人に忘れ去られ、貧しいままに1885年に息を引き取りました。
California’s Gold Rush(カリフォルニアのゴールドラッシュ)S. Clamage著、International California Mining Journal(インターナショナル・カリフォルニア・マイニング・ジャーナル)、Vol. 67、No. 8、5〜10ページ、(1998年) ゴールドラッシュの初期、およびカリフォルニアにもたらされた変化について説明されています。
Mining the Mother Lode and the Northern Mines(母鉱脈と北部鉱山の採鉱) R.H.Peterson著、International California Mining Journal(インターナショナル・カリフォルニア・マイニング・ジャーナル)、Vol. 67、No. 8、40〜44ページ、(1998年) ゴールドラッシュは「個人的な冒険心」で始まりましたが、数年のうちに「産出と利益を最大にすることを目的とした段階へと次々と発展」ました。この記事では、金の採鉱方法の発展をたどります。
James Shigley博士は、カリフォルニア州カールスバッドのGemological Institute of Americaの著名な研究員です。