歴史的書籍:Koh-i-noor(コ・イ・ヌール)ダイヤモンド


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ロンドンのクリスタルパレスで1851年に行われた大博覧会にて、Koh-i-noor(コ・イ・ヌール)ダイヤモンドとそれに添えられた2つのダイヤモンドの展示を眺める見物人。 Koh-i-noor(コ・イ・ヌール)は、昼光を排除する金メッキでカバーされた鉄のケージに入れられ、ガスジェットの輪と周りの金属の反射に照らされた。 (提供:The Illustrated Exhibitor(ザ・イラストレーティッド・エキシビター)とその他の出典より)

多くの人は、Koh-i-noor(コ・イ・ヌール、「光の山」の意)ダイヤモンドを最も有名な歴史的な宝石ダイヤモンドのひとつと考えます。 1300年代以来知られており、793カラットの重量を持つと報告されるこのダイヤモンドは、1849年にイギリス軍がパンジャブ地方を征服するまで、様々なインドの王国の手に渡りながら数世紀の時を過ごしてきました。 このダイヤモンドはイギリスに送られ、ビクトリア女王に1850年7月3日に贈呈されました。

時代の移り変わりとともに、このダイヤモンドの名前のスペルが変化していることに注意してください。 ここでは、オリジナルの出典に示されていたスペルのまま記述しています。  

この読書リストの使用方法

この読書リストは、Koh-i-noor(コ・イ・ヌール)ダイヤモンドについて学ぶ機会をみなさんに提供するために編集されました。 このダイヤモンドのインドにおける初期の歴史はIan Balfour(Famous Diamonds(有名なダイヤモンド)、第5版、2009年)に記録されており、次の記事のリストはダイヤモンドがイギリスに到着した後に発表された情報に主に焦点をあてています。  これらの記事の多くは1800年代から1900年代初期に発行されたものですが、この時期、歴史的重要性が高い有名な宝石鉱床が多く発見され、宝石学や鉱物学が科学となりました。 このリストは、時代の経過とともに考察が深まっていく様子がよく分かるように、年代順に提示されています。 リストは包括的ではありませんが、しばしば忘れられたり見過ごされたりしてきた、興味深い宝石学の情報がまとめられています。 

記事の多くはすでに一般公開されており、HathitrustInternet Archive、またはその他のデジタルレポジトリなど、オンラインのデジタルライブラリで見つけることができます。 より最近の発行物は多くの場合、Richard T. Liddicoat宝石学図書館などの、図書館で見つけることができます。 これらの記事の要約は通常、ジャーナルや雑誌の出版社のウェブサイトに掲載されており、ほとんどの場合、記事全文をその出版社経由で購入できます。

GIA図書館の所蔵内容やアクセスについては、カールスバッドのGIA図書館までお問い合わせください

The Koh-i-noor Diamond(コ・イ・ヌール・ダイヤモンド)、著者不明、Tales and Readings for the People(テールズ・アンド・リーディングス・フォー・ザ・ピープル)、Vol.3、No.1(1月20日)、48ページ(1849)。  インド起源のいくつかの有名なダイヤモンドの簡潔な説明。

The Koh-ee-noor(コ・イ・ヌール)、著者不明、Allen’s Indian Mail(アレンズ・インディアン・メール)、Vol.7、No.129(7月25日)、422ページ(1849年)。  女王へのプレゼントとしてイギリスに送られようとしているこのダイヤモンドについての簡潔なレポートと、そのインドで辿ったと考えられる歴史についての議論。

The Koh-i-noor, or Mountain of Light(コ・イ・ヌール、「光の山」の意)、著者不明、Chambers’ Edinburgh Journal(チャンバーズ・エジンバラ・ジャーナル)、Vol.12、No.291(7月28日)、49-52ページ(1849年)。  カラット重量の情報を含む、このダイヤモンドのインドでの歴史についての記録。

The Mountain of Light(光の山)、著者不明、Punch Magazine(パンチマガジン)、Vol.19、No.470、23ページ(1850年)。  「・・・この光の山は、よく見るとモグラの塚よりも小さな山のように見える。」という意見を含む、このダイヤモンドへの簡潔な風刺的な言及。

The Koh-i-noor, or Mountain of Light(コ・イ・ヌール、「光の山」の意)、著者不明、The Working Man’s Friend and Family Instructor(ザ・ワーキング・マンズ・フレンド・アンド・ファミリー・インストラクター)、Vol.7、324-326ページ(1850年)。  このレポートは、クリスタルパレスへの訪問者がこのダイヤモンドの外観に対して非常に失望していることを示しています。 深紅の布で裏打ちされた囲いと、並べられたガスジェットと金属反射器でダイヤモンドを上から照らす、新しい展示の説明を含みます。 インドでのこのダイヤモンドの歴史のいくつかも紹介されています。

A Wonderful Diamond(ワンダフルダイヤモンド)、著者不明、Scientific American(サイエンティフィック・アメリカン)、Vol.5、No.46(8月3日)、368ページ(1850年)。  ビクトリア女王の所有物となるこのダイヤモンドについての簡潔な言及。

Great Diamond(グレートダイヤモンド)、著者不明、Littell’s Living Age(Littell's リビングエイジ)、Vol.26、No.327(8月24日)、345-346ページ(1850年)。  イギリスにこのダイヤモンドが安全に到着したことの言及と、それに関するインドでの歴史、および現在のサイズと形の要約。

The Great Eastern Nave – The Koh-i-noor; and Precious stones in the Crystal Palace(東の大本堂-コ・イ・ヌール、そしてクリスタルパレスにある宝石)、著者不明、The Illustrated Exhibitor(ザ・イラストレーティッド・エキシビター)、No.1(6月7日)、19-20ページ; およびNo.6(7月12日)、93-95ページ(1851年)。  昼光を除外する金箔で覆われた鉄のケージに入れられ、金属反射板に囲まこのれたガスジェットの輪で照らされたこのダイヤモンドの記述を含む、クリスタルパレスの展示に関する宝石の説明。 宝石展示の一部であったMr.Hopeの所有物である大きな青いダイヤモンドの言及もあります。

The Gems(宝石)、著者不明、The Illustrated London News(ザ・イラストレーティッド・ロンドン・ニュース)、Vol.18(5月17日と5月31日)、426-428ページおよび491ページ(1851年)。  このダイヤモンドの描写を含む、クリスタルパレスで展示されている宝石とジュエリーの説明。

The Koh-i-noor – Ancient and modern History(コ・イ・ヌール-古代と現代の歴史)、著者不明、The Crystal Palace and its Contents – An Illustrated Cyclopedia of the Great Exhibition of 1851(クリスタルパレスとその展示内容 - 1851年の大博覧会の図録)、No.1(10月4日)、5-7ページおよびNo.5(11月1日)、68-69ページ(1851年)。  クリスタルパレスに展示されているこのダイヤモンドの画像と、その歴史に関する情報。

Advertisement: Models of the Koh-i-noor Diamond [for sale](広告:コ・イ・ヌールダイヤモンドのモデル [販売用])、The Illustrated London News(ザ・イラストレーティッド・ロンドン・ニュース)、Vol.19(11月1日)、552ページ(1851年)。  有名なダイヤモンドのモデルの販売に関する簡潔な言及。

The Koh-i-noor(コ・イ・ヌール)、S. Proust、Fireside Facts from the Great Exhibition(ファイアサイド・ファクト・フロム・ザ・グレート・エキシビジョン)、231-234ページ(1851年)。  このダイヤモンドと他の展示品を見るためにクリスタルパレスへ訪問した際の記録。

The Koh-i-noor(コ・イ・ヌール)、著者不明、Official Descriptive and Illustrated Catalogue of the Great Exhibition(大博覧会の説明と描写付きオフィシャルカタログ)、3部、3章、クラス23、695-696ページ(1851年)。  インドでのこのダイヤモンドの歴史を記述した展示訪問者へのガイド。

History of the Koh-i-noor, or Mountain of Light(「光の山」を意味するコ・イ・ヌールの歴史)、著者不明、The True Briton – A Home Friend and Evening Companion(ザ・トゥルー・ブリトン - ア・ホーム・フレンド・アンド・イブニング・コンパニオン)、Vol.1、152-153ページ(1851年)。  夜間のセキュリティ目的のために、展示品は鉄版で覆われた鉄の箱の中に下げることができるという記述を含む、インドでのこのダイヤモンドの歴史に関する人気のある記録。 この3つのダイヤモンドは金箔のケージ内のベルベットのスタンドの上に置かれ、ガラス板を通して閲覧されていました。

Tallis’s History and Description of the Crystal Palace(Talisによるクリスタルパレスの歴史と説明)、Vol.1、John Tallis and Company(John Tallis & カンパニー)、ロンドン(1852年)。  クリスタルパレス内の展示品の説明。

The Koh-i-noor Cut and Come Again(無尽蔵のコ・イ・ヌール)、著者不明、Punch Magazine(パンチマガジン)、Vol.23(8月)、54-55ページ(1852年)。  このダイヤモンドのリカッティングに対する風刺的なレポート。

The Recutting of the Koh-i-noor(コ・イ・ヌールのリカッティング)、著者不明、National Magazine(ナショナルマガジン)、Vol.1、No.5(11月)、443-444ページ(1852年)。  外観を改善するために、このダイヤモンドをよりモダンな楕円形のブリリアントスタイルにするリカッティングの説明。 アムステルダムのダイヤモンドカッターを含む様々な専門家に対し、リカッティングのプロセスと、ダイヤモンドを損傷することなく達成できるかについてのアドバイスを求めていました。 これほどまでに大きなダイヤモンドがヨーロッパでカットされることは長いことなかったため、結果が不確実でした。 クラウンジュエルを維持する責任のある会社であるロンドンのGarrard Jewelers(ガラードジュエラーズ)は、ヴィクトリア女王とアルバート王子からそのダイヤモンドのリカットを頼まれました。  2人の熟練の職人がオランダから呼ばれ、また特別な蒸気エンジンが研磨装置に電力を供給するために設置されました。 この作業は1852年7月6日に、 最初にファセットをカットしたArthur Wellesley(ウェリントン公爵王子)ら、王子と他の政府高官の見守る中で始まりました。 

Observations on the diamond(ダイヤモンドの観察)、D. Brewster、Report of the 22nd Meeting of the British Association for the Advancement of Science(英国科学振興協会による第22回会議のレポート、ベルファスト、1852年9月)、41-42ページ(1853年)。  アルバート王子の招待により1852年春に開催されたリカッティング前のこのダイヤモンドの科学的調査についての講義のレポート。 ダイヤモンドは偏光の下、顕微鏡で検査されました。

On the Recutting of the Koh-i-noor Diamond(コ・イ・ヌールダイヤモンドのリカッティングについて)、J. Tennant、Report of the 24th Meeting of the British Association for the Advancement of Science(英国科学振興協会による第24回会議のレポート、リバプール、1854年9月)、75-76ページ(1854年)。  186カラットから105.6カラットに重量が減ったダイヤモンドのリカッティングについての講義のレポート。

The Koh-i-noor diamond(コ・イ・ヌールダイヤモンド)、J. Tennant、American Journal of Science(アメリカン・ジャーナル・オブ・サイエンス)、第2 シリーズ、Vol.17、No.49、136-139ページ(1854年)。  リカッティングの際に取り除ける可能性のある欠陥についてを含む、リカットされる前のこのダイヤモンドに関する説明と、リカットの作業の手順。

Koh-i-noor(コ・イ・ヌール)、M.H.N. Story-Maskelyne、Proceedings of the Ashmolean Society(プロシーディングス・オブ・ザ・アシュモリーン・ソサエティ)、Vol.3、No.33、59-63ページ(1855年)。  1855年2月12日に行われたこのダイヤモンドの歴史に関する講演のレポート。

Koh-i-noor(コ・イ・ヌール)、著者不明、American Journal of Science(アメリカン・ジャーナル・オブ・サイエンス)、Vol.72、No.65、278-280ページ(1856年)。  M.H.N. Story-Maskelyneが行った講義の レポート [上記]。

Diamonds – The Koh-i-noor, or Mountain of Light(ダイヤモンド - 「光の山」を意味するコ・イ・ヌール)、著者不明、Wonderful Things, or Accurate and Interesting Descriptions of the Wonders of All Nations(素晴らしき物、諸国の奇跡についての精密で興味深い詳細)、225-231ページ(1860年)。  このダイヤモンドの歴史についての議論。

Adventures of the Koh-i-noor(コ・イ・ヌールの冒険)、著者不明、Eclectic Magazine of Foreign Literature, Science and Art(エクレクティック・マガジン・オブ・フォーリン・リテラチュア、サイエンス & アート)(12月)、448-449ページ(1862年)。  このダイヤモンドの歴史についての議論。

Koh-i-noor(コ・イ・ヌール)、著者不明、What Do You Think of the [International] Exhibition?([国際]展示会についてどう思いますか?)、135-136ページ(1862年)。  大博覧会は、ハイドパークの会場で約6ヶ月間のみ行われることが予定されていました。  1852年にクリスタルパレスの解体が始まり、南ロンドンのシデナムの新しい場所に再築され、1854年にビクトリア女王によって新しい国際展示会が開催されました。 このダイヤモンドはその展示会で再び展示されました。

Koh-i-noor(コ・イ・ヌール)、J.H. Pepper、Cyclopaedic Science Simplified(サイクロペディック・サイエンス・シンプリファイド)、580-582ページ(1869年)。  リカッティング前後の宝石の描写を含むこのダイヤモンドの説明。

The Koh-i-noor Diamond(コ・イ・ヌール・ダイヤモンド)、W.S. Ward、Appleton’s Journal(アップルトンズジャーナル)、Vol.8、No.173(7月20日)、76-77ページ(1872年)。  このダイヤモンドの歴史と、1852年のそのリカッティングに関する説明。 著者のあとがき:「・・・Koh-i-noor(コ・イ・ヌール)ははるかに輝きがあり魅力的な宝石であるが、鉱物学者や古物収集者の興味の対象ではなくなったため、[リカッティングが]良い投資であったかどうかは疑問です。106カラットのブリリアントの現在の形では、その天然の形を思わせるところがまったくなく、想像されるそのダイヤモンドにある関心は、そのアイデンティティの喪失によって今や失われているからです。」

The Koh-i-noor(コ・イ・ヌール)、著者不明、Appleton’s Journal(アップルトンズジャーナル)、Vol.10、No.242(11月8日)、597-598ページ(1873年)。  1852年のこのダイヤモンドのリカッティングに関する説明。

Diamonds – Unpolished and Polished(ダイヤモンド - 研磨されていないものと研磨されたもの)、J.F. Richmond、Nelson and Phillips、ニューヨーク、140ページに対面するページ(1873年)。  Koh-i-noor(コ・イ・ヌール)のリカッティング前後の線描写。

The Kohinoor Diamond(コイヌールダイヤモンド)、E. Comyn、Journal of the National Indian Association(ジャーナル・オブ・ザ・ナショナル・インディアン・アソシエーション)、722-724ページ(1880年)。  このダイヤモンドについての簡潔な議論。

Some Famous Diamonds(いくつかの有名なダイヤモンド)、著者不明、Jewelers’ Circular and Horological Review(ジュエラーズ・サーキュラー・アンド・ホロロジカル・レビュー)、Vol.15、No.9(10月)、725-276ページ(1884年)。  Koh-i-noor(コ・イ・ヌール)を含むいくつかの有名な大きいダイヤモンドの説明。

A Story of the Koh-i-noor(コ・イ・ヌールの物語)、E. Martinengo-Cesaresco、Folk-Lore Journal(フォークロアジャーナル)、Vol.4、No.1、252-254ページ(1886年)。  このダイヤモンドにまつわるインドの伝説の物語。

The Great Mogul’s Diamond and the Koh-i-noor(ムガル皇帝のダイヤモンドとコ・イ・ヌール)、V. Ball、Nature Magazine(ネイチャーマガジン)、Vol.43、No.1101(12月4日)、103ページ(1890年)。  両方のダイヤモンドが同じであることを実証する分析。

The True History of the Koh-i-noor(コ・イ・ヌールの真の歴史)、V. Ball、English Illustrated Magazine(イングリッシュ・イラストレーティッド・マガジン)、Vol.8巻(4月)、538-542ページ(1891年)。  このダイヤモンドの歴史と説明と、それがムガル皇帝のダイヤモンドと同じだという可能性の議論。 

The Koh-i-nur – A Criticism(コ・イ・ヌール - 批判)、N. Story-Maskelyne、Nature Magazine(ネイチャーマガジン)、Vol.44、No.1145(10月8日)、555-559ページ(1891年)。  Dr. Ball(1890)によるこのダイヤモンドの真のアイデンティティに対する見識に関する専門家の意見の相違。

The Koh-i-nur – A Reply(コ・イ・ヌール - 返答)、V. Ball、Nature Magazine(ネイチャーマガジン)、Vol.44、No.1147(10月22日)、592-593ページ(1891)。  このダイヤモンドのアイデンティティに関する議論の続き。

Letters to the Editor: The Koh-i-nur(編集者への手紙:コ・イ・ヌール)、N. Story-Maskelyne、Nature Magazine(ネイチャーマガジン)、Vol.45、No.1149(11月5日)、5-7ページ(1891年)。  このダイヤモンドのアイデンティティに関する議論の続き。

The Koh-i-nur(コ・イ・ヌール)、V. Ball、Nature Magazine(ネイチャーマガジン)、Vol.45、No.1154(12月10日)、126ページ(1891年)。  このダイヤモンドのアイデンティティに関する議論の続き。

The English Regalia – The Koh-i-noor(イギリスのレガリア - コ・イ・ヌール)、C. Davenport、Kegan、Paul、Trench、Trüber and Company Ltd., ロンドン、57-59ページ(1897)。  いくつかの傷をカットしなければならなかったために、リカッティングの際にかなりの重量の減少が不可欠であったことへのコメントを含む、このダイヤモンドの歴史の簡潔な説明。

The Tragedies of the Kohinoor(コ・イ・ヌールの悲劇)、C. Brown、Cosmopolitan Magazine(コスモポリタンマガジン)、Vol.26(11月)、51-60ページ (1898年)。  インドでのこのダイヤモンドの歴史とその英国政府への譲渡に関する議論。

Babar’s Diamond: Was it the Koh-i-nur?(ババールのダイヤモンド:あれはコ・イ・ヌール?)、H. Beveridge、Imperial and Asiatic Quarterly Review(インペリアル・アンド・アジアティック・クォータリーレビュー)、シリーズ3、Vol.7、No.14(4月)、370-389ページ(1889年)。  インドでのこのダイヤモンドの歴史とアイデンティティについての議論。

The Romance of the Koh-i-noor(コ・イ・ヌールのロマンス)、A.S.R. Ghosh、Harper’s Monthly Magazine(ハーパーズ・マンスリーマガジン)、Vol.104、No.622(3月)、665-669ページ(1902年)。  インドでのこのダイヤモンドの歴史についての議論。

The Koh-i-noor in the Toshkhana [treasure trove] of “The Great Maharajah”(「グレートマハラジャ」のToshkhana(宝石倉庫)のコ・イ・ヌール)、E. Dalhousie-Login、National Review(ナショナルレビュー)、Vol.68、No.404(10月)、234-241ページ(1916年)。  インドでのこのダイヤモンドの歴史とその英国政府への譲渡に関する議論。

Dr. James Shigleyは、カリフォルニア州カールスバッドのGemological Institute of Americaの著名な研究員です。