同窓会スポットライト

デザイナーが愛するブラジルとその宝石 、すべての作品に込められた輝き


スリランカのコロンボに近いサファイア鉱山の前に立つKaryna Sena。
宝石とジュエリーの仕事に関わる旅を愛するKaryna Senaは、子どもの頃からブラジルやその他の国の鉱山を訪れていた。 「私にどこかの国へ行くように言ってみてください。現地の気温さえ分かれば、荷物をまとめてすぐ行けますよ」と彼女は話す。写真はスリランカのコロンボ付近にあるサファイア鉱山にて。 提供:Karyna Sena

Karyna Senaがデザインするジュエリー作品は、ダンス、音楽、カーニバルから自然の植物、動物、果物まで、タペストリーのように織り込まれた豊かなブラジルの文化を表現しています。

「私は作品の中でブラジルの『道』を模索しています」豊かな宝石の州バイーアの中心地であるサルバドールで生まれたGIA GGのSenaは話します。 「ジュエリーは楽しくないといけませんからね!」

Senaのjoie de vivre(生きる喜び)と故郷に対する熱意はキャリアと人生にも反映し、今やブラジルにおけるカラーストーンのサプライチェーンほぼ全体に関わるようになりました。  

「鉱夫の孫娘、そして宝石ディーラーの娘として、私の血にはカラー宝石が流れているのです」と、Senaは語ります。彼女の父親は1967年に卸売り・小売店Lasbonfimを開業しました。 Senaは店内に置かれたベビーサークルの中で「お店の床をはいはいしながら」大きくなったそうです。お人形にまぎれ込んだカラーストーンの原石や、家族で鉱山へいったことなどを覚えているそうです。

「バイーアのはずれにあるCampo Formosoのエメラルド鉱山へ、両親に初めて連れて行ってもらった時のことは、はっきりと覚えています。 鉱山の穴に最初に飛び込んだのは私でした。暗さや暑さにまったく恐怖を感じませんでした。 まるで、インディ・ジョーンズの宝探しみたいだと思ったんです!」

Lasbonfim開店のテープカット式典に参加する人々。 1980年代のLasbonfimの開店とテープカットの式典の様子。両親と2人の弟とともに、左側に立つ少女時代のKaryna Sena。 「鉱夫の孫娘、そして宝石ディーラーの娘として、私の血にはカラー宝石が流れているのです」と、Sena。 提供:Karyna Sena

Senaはまた、宝石の色や内包物を分析してエメラルドの起源を識別するという父親の能力にも心を引きつけられました。 父は彼女に、原石と研磨された石を分類する方法と、家業のノウハウを教えました。

「両親は可能な限り最善の教育を与えてくれ、就きたい仕事は私たちに選ばせてくれました。ですが、家族のビジネスについても教えてくれました」と彼女は話します。 「自分が選んだ仕事で成功できなかったとしても、他の仕事の知識も備えていたということです。」

しかし、Senaは「ブラジルの宝石を完全に愛して」いたので、家業を「生涯の仕事」にしたいと感じたそうです。

彼女は1990年代後半にバイーア連邦大学で地質学、サルバドール大学でビジネスの学位を取得した後、「ヨーロッパのファッション業界における魅力やトレンドを肌で体験し、スタイルの多様性に触れるために」ヨーロッパへ移りました。ロンドンを拠点とし、数年にわたりヨーロッパ各地とその他の多くの地を訪れました。

そして2012年、ブラジルへ戻った彼女はLasbonfimで自身のジュエリーラインのデザイン・販売を始めます。 「80年代の頃は、両親のお店で手に入るものは非常に古典的なものばかりでした」と彼女は話します。 「私は、通常18Kゴールドにはセットされない石を使った『奇抜な』カットのジュエリーを作ろうと思いました。」

Senaの「ジュエリーの形をとった夢」は、「ブラジルの色彩や幸福感がヨーロッパの優雅さと融合した」ことでインスパイアされています。最初の製品ラインである Orishas は販売も好調で、すぐに特に北米からの観光客のあいだでブラジルのお土産として人気が高まりました。

 

18Kホワイトゴールドにインペリアル トパーズ、アメシスト、アクアマリン、グリーンとピンクのトルマリン、モルガナイト、ダイヤモンドがセットされた「アリス」ドロップイヤリング。

自身のデザインラインKaryna Senaを立ち上げ、デザイナーとして、またLasbonfimのディレクターとして大成功していましたが、その影で何かが欠けていると感じていました。それこそがGIAのディプロマです。 教育やビジネスのためにブラジルを訪れるGIAのインストラクターや宝石鑑別士を、両親がたびたびサポートしていたため、GIAのことはよく知っていました。

「GIAの方々は、ブラジルにはない宝石の試験装置を宝石と交換してくれました。 彼らと会えたことで、GIAが行っている重要な仕事について知ることができました」と、彼女は話します。

「私は地質学の勉強や多くの取引の経験からセオリーは少し学んでいましたが、GIAの宝石鑑別士のように世界で尊敬されるようになりたいと思いました。 GIAのディプロマを壁に飾りたいと思ったのです。」

Senaはロンドンへ戻りGIAのキャンパスで学び、2011年にグラジュエイトジェモロジスト(GG)と AJP のディプロマを取得しました。

「その年は仕事はせずに、ひたすらGIAに専念しました。 よく冗談で、その頃私はGIAと結婚していたの、と言いますよ。」と彼女は話します。 「情熱を持たなくちゃだめです。 一意専心、そして情熱があれば成功することができるでしょう。 楽な道ではありませんが、努力は必ず報われます。」  

「すばらしいネットワーキングのチャンス」以外にも、SenaはGIAで学んだことを「日常的に」活用できると喜びを語ります。今や彼女は査定も行うようになったということは特筆に値します。

業界の仲間たちとポーズをとるKaryna Sena。 Karyna Senaは、CIBJOの小売部門の副会長をはじめとした宝石・ジュエリー業界のリーダーを複数兼任している。 2015年のイベントにて、(左から)Facco Corrado 社長 Fiera di Vicenza氏、CIBJO 会長 Gaetano Cavalieri氏、、GJEPC 副会長 Pankaj Parekh氏と。 写真:Paulo Alcantara 提供:Karyna Sena

LasbonfimとKaryna Senaでの多くの役割に加え、彼女はBahia Association of Producers and Traders of Gems, Jewelry, and Precious Metals(宝石、ジュエリー、貴金属制作取引バイーア協会)初の女性会長、Brazilian Institute of Gems and Precious Metals(宝石と貴金属のブラジル研究所)の最年少役員、CIBJO World Jewelry Confederation(国際貴金属宝飾品連盟)の副会長を務めています。  

「私たちは競争の激しいプロフェッショナルな世界にいます。この業界はより狭く動きが速くなっており、素人が付け入る隙はもはやありません。」夫のMarcelo Storel氏と共にブラジルで暮らすSenaは話します。 「クリエイティブかつプロフェッショナルであることが、成功し勝負し続けていくためのただ一つの道だと強く信じています。 そして、それは教育なしに成し遂げることはできません。」

寄稿者のJaime Kautskyは、GIAダイヤモンドグラジュエイトおよびGIA AJPであり、The Loupe(ルーペ)誌の副編集長を務めていました。