マダガスカルのイラカカ-サカラハのサファイア採鉱に関する最新情報


Pardieu
南マダガスカルのイラカカ-サカラハ鉱床から届くサファイアとクリソベリルのパーセル。 写真: Vincent Pardieu、© GIA
はじめに
2010年7〜8月と2012年8月、イラカカ-サカラハ鉱床から参考サンプルを収集するため、寄稿者はマダガスカル南部を訪れました。その鉱床は、おそらく過去13年以上に渡り世界最大のサファイアの産地であり続けています。 この最新情報には鉱区の地図があります。 サファイアの全生産地域と砂岩地帯が関連していることにご注目ください。

最初の発見は1998年、Ilakaka Be(イラカカ・ベ)の近くでした。 その村は首都Antananarivo(アンタナナリボ)とToliara(トリアラ)港を結ぶ主要道路国道7号線(RN7)の近くにあったため、タイ人とマダガスカル人の商人で賑わうマーケットがすぐに出来上がりました。 数ヶ月の内に、島中のの鉱山労働者がイラカカ川の橋の近くに定住し、ブームタウンが誕生しました。 イラカカは現在はかなり静かな場所になっています。 そこには観光客が通常立ち寄り、スリランカ人やタイ人、マダガスカル人の宝石商人は今も取引を行っています。

SP13 図15 地図, Pardieu, Ilakaka 南マダガスカル、イラカカ-サカラハ鉱床の地図。
多くの宝石学者や業者が鉱床の大きさに驚きます。 発見はイラカカ地域にとどまらず、北部のMalio(マリオ)とFiherenana(フィヘレナナ)川流域や、南部と西部のBenahy(ベナヒ)、Taheza(タヘザ)、Imaloto(イマロト)、Onilahy(オニラヒ)川流域にもありました(流域は地図上の黄色い点線で区切られています)。 地図で分かるように、鉱床はAnena(アネナ:Onilahy(オニラヒ)川沿い)から東側のAnakondro(アナコンドロ:Imaloto(イマロト)川沿い)までの約120km、Anena(アネナ)から北側のAntralava(アンタララヴァ:Fiherenana(フィへレナナ)川沿い)までの約100km、そしてAnakondro(アナコンドロ)からAnkaboka Malio(アンカボカ・マリオ:Malio(マリオ)川沿い上)へと広がっています。

サファイアはFotilovo(フォティロボ)とMurarano(ムララノ)近くのAntralava(アンタララバ)北部と、Ankaboka Malio(アンカボカ・マリオ)北部のMalio(マリオ)谷でも発見の報告がありますが、著者はこれらの遠隔地までは探索しませんでした。

イラカカ川流域:イラカカ・ベ近くの発見は当初の期待には及ばず、数ヶ月以内に採掘はAmbarazy上流(短期的に主要トレードセンターになった)や、マダガスカル最大の手掘り立坑の一つである、有名なBanque Suisse採掘場に移りました。 採鉱はイラカカ川の西側に位置するRN7の北側のBepeha村まで行われました。 イサロ国立公園の一部である、川の東側では採鉱が許可されませんでした。 2012年にはBanque Suisseでまだ活動を行う小グループがありましたが、流域の他の場所では採鉱はほぼ止められていました。 町周辺でいくつかのグループが働いているほか、タイ人による小さな機械作業がAmabrazyでまだ行われています。 全体としては、1999年時点で、地域の推定人口60,000人のうち、300人ほどがイラカカ川流域でまだ採鉱を行っていました。

東の境界とImaloto川流域:砂岩地域の東端では、サファイアはごく僅かしか発見されません。 唯一の例外は、Lovokadabo、Ampasimamitaka、Sakabe、Ambotzove、Ankondroに近い、Imaloto川沿いの二次鉱床です。おそらく砂岩地域からイラカカ川とBenahy川に運ばれて、サファイアが河川の堆積物に埋もれています。 Imaloto川沿いの地域は、数年間低迷していましたが、2012年にまた産出されるようになりました。 宝石もSakalamaに近い複数の地域で発見されました。 2004​​年には、サファイアが豊富なBenaha川がImaloto川に合流する場所である、Ampasimamitakaで採鉱ラッシュが起きました。 そこで採掘された大部分がミルキーブルーのサファイアは、後に天然のベリリウムを含んでいることがわかりました。 2008年にはSakabe以外で鉱山労働者をほとんど見かけなくなりました。 2012年に再訪した著者は、Sakalama近辺のラッシュを目撃しました。大きな二つの立坑に約200人が作業していました。 報告によると、Mahavily近くではさらに100人がBenahy川で採鉱していたそうです。 Ampasimamitakaでは、約50人がImaloto川で採鉱していました。 その他のグループも、上流はLovokadaboまで、またはるか下流域でも作業をしていたそうです。 Benenitra近くから50kmほど下流のAnkondroでは、約50人がピンクとブルーのサファイアを採掘していました。 さらに200人がAmbotzoveの近くで作業していたと言われています。 2012年には、私たちが推定したところ、地域の東側、主にImaloto川沿いに、500人から1,000人の鉱山労働者がいました。

Ilakaka(イラカカ)での採鉱
SakarahaからBezahaにかけての西側の境界:西側の境界は、Fiherenana川南部のSakarahaとOnilahy川のBezahaを結んだ線です。 西側の地質は石灰岩、玄武岩、斑糲岩が豊富です。そこでは、SakarahaとIlakakaの間にあるサファイアが豊富な砂岩地域から流れる川によって運ばれ、二つの地域で見つかっています。

Antaralava近くの北西部にあるサファイアの豊富なFiherenana川と交わる場所に、砂岩の豊富な狭い地域が、石灰岩を含む二つの地域の間に南北に伸びています。 採掘は2000年に始まり、2012年には約50人がそこで働いていました。
 
Anena近くの南西にあるOnilahy川上では、小規模な鉱山ラッシュが2005年に起き、5年後には約100人の鉱山労働者がその現場で働いていたと言われています。 AnenaはOnilahy南部で知られる唯一の鉱床です。深くて流れの強い川ですが、現在は宝石採掘は行われていません。 Anenaで宝石が発見され、サファイアの豊富なIlamoto川とTaheza川がOnilahy川に流れ込んでいるということは、この川はサファイアが豊富であると示しています。 しかしこの地域は余りにも奥地であるため、深い砂地での採掘に必要な機械を運ぶことができません。

Benahy川流域:Benahy川沿いの採鉱は1999年に始まりました。 Vohimenaの村はすぐに有名になり、2000年から2011年には機械作業がいくつか行われました。 2005年3月には、ピンクサファイアで有名になるSakamelokaの近くで重要な発見がありました。 機械による採掘が何件か続きましたが、イラカカ市場の小粒のピンクサファイア原石の価格が前年より90%に下落した2007年後半まででした。

Benahy下流にある他の鉱山村(Morafenaなど)は奥地であるため探検できませんでした。 2012年、著者はSakamelokaからVohimena Mahafalaまでの地域を訪問しましたが、Benahy川沿いのその地域には鉱山労働者は500人未満しか見られませんでした。 2005年から2010年に見られたその地域の機械作業は終了していました。

イラカカでの採鉱
Sakameloka近くのBenahy川の現場で道具を手に取ってポーズをとるサファイア鉱山労働者。 写真:Vincent Pardieu, © GIA.
MalioとFiherenana川流域:1999年後半、Ankaboka Malio、Analamahavelona、Betikely、Maromiandra、Ankaboka Ambinany、Andralanova、Bevilany、Antaralavaに近いFiherenanaとMalio川流域のRN7の北部で採鉱が始まりました。 複数のタイ企業がAnkaboka AmbinanyとBevilanyの橋付近で機械作業を開始しました。 2003年にManombo Be付近で大きな鉱床が発見された後、スリランカのバイヤーたちがそこで事務所を構えてサファイアを採取し、イラカカにいるタイのバイヤーに先取りされないようしました。

2005年までManomboはイラカカの競争相手でしたが、現在は2007年頃に建てられたトレードセンター近くのSakaveeroで晩期の採掘活動が行われています。 報告によると、RN7北部での採掘は2010年に弱含みでしたが、2012年8月には手作業で働く約1,000〜1,500人の地元民がZombitze-Vohibasia国立公園を含む地域に散在していました。 約400人の鉱山労働者がManombo Be南部のManombo、Misereno、Anduharanoにいました。 2012年5月にAnalamahavelona付近で高品質なブルーとピンクの石が発見されたことで、400人ほどの鉱山労働者が集まりました。 Ankaboka Ambinany近くでは、数百人がBevilany橋北側の村周辺の様々な鉱床で働いていました。そこでは2台の採掘機と洗浄プラントを使ったタイ人による機械作業が行われていました。 さらに数百人がAnkaboka MalioとMalio川の遠隔地にいたと報告されています。

Taheza川流域:2000年頃以降、サファイアはBezahaの北部のTaheza川下流沿いと上流の谷で採掘されてきました。 採鉱村がAnalasoa、Analalava、Mahasoa、Ambalavihyに現れ、数万人が働いていたとようです。 採鉱権は間もなくスリランカの大企業に買収されました。 機械化を試みたのち、代わりに食べ物や用具の援助をしながら地元民から宝石を購入することにしました。 このモデルはTaheza川流域で大成功し、2008年までに鉱床全体の主要なサファイア採掘地域になりました。 上流域での活動は減少しましたが、Antsoa付近では増加しており、2011年と2012年には約5000人が採鉱と砂利の選別を行っていました。 2011年の主要採鉱区はMangatokaでしたが、翌夏にはそれがAnkaranduhaになり、1,000人以上が働いていました。 Taheza川流域のサファイアを豊富に含んだ砂利は通常の深さが約30メートルですが、高い技術を持つ鉱山労働者は50メートルの垂直シャフトを使って砂利に到達し、狭い水平トンネルを掘って採掘を行いました。 鉱山労働者たちが呼吸するために、空気を大きなビニール袋やチューブを使って地下に送り込む必要がありました。 砂利は取り出され選別のために川に運びました。

イラカカでの採鉱
AnalalavaのTaheza川で手道具で作業するサファイア鉱山労働者。 写真:Vincent Pardieu, © GIA.
道路がなかったため、Ambatomainty南部のTahezaでは作業が見られませんでした。そこにはスリランカ企業による事業の名残があるはずでした。 2010年と2012年、著者は、BezahaからAnkilivalyまでのTaheza下流域を調査しに行き、Ankilitelo、Ambarinakoho、Ankilivaly近くの採掘を観察しました。 宝石ラッシュは2011年後半にAmbalmasaiで起き、翌年には約500人がその遠隔地でまだ採掘作業をしていました。 Tahezaの反対側、Ambalmasaiから北へ約5キロ離れたSarouvalでも複数の作業が報告されました。 各現場で、スリランカ企業が積載トラックや道具、食料を鉱山労働者に供給していました。

2012年は、Ilakaka-Sakarahas西部の産出のほとんどがTaheza川に沿いにある、Manom​​bo南部やVohimena付近、RN7北部の数カ所などの地域でした。 サファイア取引も同様でした。 イラカカは、宝石の朝市と、新しい人気取引スポットのSakaveeroで売れ残った石を人々が売る夜遅く以外は静かでした。

全体的に、イラカカ周辺の採掘と取引は、数年前から落ち込んでいます。 しかし1~2万人の鉱山労働者や数百人のバイヤーがいるイラカカ-サカラハは、ブルーサファイアとピンクサファイアの世界の主要な採掘地として、スリランカのRatnapuraとElaheraをおそらくいまだ上回っています。 2012年4月~7月、多くのバイヤーや鉱山労働者はイラカカを去り、2012年3月に高品質なルビーとサファイアが発見されたDidyの近くのジャングルやAmbatondrazakaに働きに行きました。 しかし当局がその新しい現場(保護地域に位置する)を7月に閉鎖すると、彼らのほとんどがイラカカに戻り、8月には事業の大部分が通常に戻りました。