展示会レビュー:ムガル帝国から現代へ:メトロポリタン美術館インドの宝石を展示


ムガルのターバンの飾り
このムガルのターバンの飾りは1800年~1850年頃の作品と想定されており、Al-Thaniコレクション所蔵のインド宝飾品の見事な一例である。 この作品はダイヤモンドで飾られ、フレームから10個のスピネルが吊り下がる。 提供:Servette Overseas Ltd.及びニューヨークメトロポリタン美術館
フランス人探検家 Jean-Baptiste Tavernierは、約400年前にインドに到着した時、 宝石の宝庫のみならず、数千年に及ぶ高度に洗練された宝飾品作りの技術と貿易ネットワークが確立されていることを発見しました。

それ以来インドの宝飾品は世界中のコレクターにインスピレーションを与えてきました。

最も著名な愛好家の一人、カタールのSheikh Hamad bin Abdullah Al-Thani は、 最近, 彼個人で所有するインドの宝石及び宝飾品コレクション-世界最大のコレクションの一つ- の中から60点を選び、ニューヨークのメトロポリタン美術館で展示しています。 「インドからの宝物:Al-Thaniコレクションの宝飾品」は10月28日にオープンし、 2015年1月25日まで開催されます。

クリスティーズのアジア美術国際理事であるAmin Jaffer博士によると、インドの伝統では宝石は装飾や富の象徴以上の目的を果たしてきました。 Jaffer博士は、展示開始の次の日、メトロポリタン美術館で「宝飾品がインド王室における権力の誇示に果たす役割」について講義を行いました。

- ピーター·ケラー博士
ICA(国際有色宝石協会)に新たに任命された委員として、シャーリーは中国の長沙で開催された2013年のICA大会で彼女の宝飾品デザインへの色の影響についてプレゼンテーションを行いました。 写真提供:Russell Shor。
Jaffir 博士は、何世紀にもおいて、多くの宝石を身にまとうインドの支配者の肖像画の数々に注目を置き、「宝飾品は王権を示すために極めて象徴的であった。」と述べました。 「とりわけダイヤモンドは、硬い石であるために無敵と関連付けられていた」と語り、着用者の大半は男性であったと付け加えました。

His Highness the Maharajah of Indore(インドールのマハラジャ殿下)
「インドールのMaharajah殿下」は、英国の芸術家George Landseerによって1861年に描かれました
。 提供 :Amir Mohtashemi Ltd.、ロンドン
今回メトロポリタン美術館では、17世紀中期のムガル時代の幕開けから、インドと西洋両方の要素を組み込む現代的なデザインまで、幅広い時代の宝飾品が展示されています。 展示品は、 インドのファッションやデザインが、ヨーロッパの宝石商との接触を介してどのように進化していったかを示しています。

展示品の中で最古の作品の一つに、1620年頃の初期ムガルにおいて、頭の形に複雑な模様に彫られた柄の白いネフライト(軟玉)ジェード短剣があります。 この彫刻におけるヨーロッパの影響は、 旧ポルトガル領ゴアの良い羊飼いであるキリスト画像との類似性で明らかになっています。

1620年~1625年頃の軟玉ジェードの短剣の柄
この軟玉ジェードの短剣の柄は1620年~1625年頃の作品と想定され、ポルトガルのキリストのゴアのイメージに類似しているためヨーロッパの影響を表現しています。 写真提供:Servette Overseas Ltd.(サルベット・オーバーシーズ株式会社)とNew York Metropolitan Museum of Art(ニューヨークメトロポリタン美術館)のご厚意。
コロンビアで鉱床が発見された後、16世紀にエメラルドはインドの王室宝飾品として、不可欠なものとなりました。 1790年頃作られたダイヤモンドとルビーをはめ込み、エメラルドの首飾りをかけた金のトラの頭のファイニアル(職杖や額縁の上の飾り)は、 Tipu スルタンの王座を飾った8つの象徴品のひとつで、マイソールのタイガーとして知られています。 スルタンは戦いに破れ殺害され、王座は1799年に廃止されました。

1790年頃の作品であるティプ·スルタンの王座からの虎の頭部像
ティプ・スルタンの王座からのこの虎の頭部像は1790年頃の作品であり、ダイヤモンド、ルビー、エメラルドをちりばめた金象眼を特長とします。 写真提供:Servette Overseas Ltd.(サルベット・オーバーシーズ株式会社)とNew York Metropolitan Museum of Art(ニューヨークメトロポリタン美術館)のご厚意。
主にターバン(jigha)とヘッドバンド(sarpesh)の正面につける頭の装飾品は、 展示会の中でも主要部を占めています。 最も見事な作品の一例は、主要写真に示すsarpesh(頭の留め具)です。 約11インチ(約28センチ)の長さで、 polki(ポルキ)ダイヤモンド(まだ元の原石の形、未加工ではあるが表面は研磨されている)がセットされ、金の台座からは10個の大きなスピネルが吊り下がります。 この作品は1875年から1900年の間に制作されましたが、スピネルはそれよりもはるかに早くから存在したものです。 多くの伝統的なインドの宝飾品と同じように、裏側はエナメル加工が施されています。

インドは、1858年にイギリス統治が始まった頃、500以上の半自治州から成っていました。 英国が支配権を握った後、 宝飾品は贅沢を極めていきました。ムガルの富と権力の大部分は、もはや軍事力で競うのをやめた地元の支配者たちへと移っていき、誰が最も多くの宝飾品を取集し蓄積できるかを競いあいました。

「支配者たちは欧州式の、非常に手の込んだ王冠やティアラを作り始めました」とJaffer博士は語りました。 インドの宝石鉱山はそれまでの長い間枯渇していたので、 宝石は何世紀も昔の作品から取り出されました。 支配者の一人であったパティアーラのMaharajaは、 現代的な宝飾品に再マウントするためカルティエとブシュロンの100以上の主要な宝石を渡しました。

「宝飾品店が今までに請け負った中で、未だに最大の単独委託です」とJaffer博士は語ります。

実際19世紀の後半​​まで、カルティエなどの宝飾品店は、 英国統治下で支配していた王子たちの用を承るために定期的にインドを訪れていました。 このような宝飾品店は新しいスタイルや技術をもたらしました。インドの王族は多くの場合、最も貴重な宝飾品のいくつかを、どちらの文化も反映されているモダンな作品へとリセットさせました。

ムガル時代に彫刻が施された一つのエメラルドは、フランス人デザイナーのPaul Iribeによって1910年頃に、 サファイアと真珠の小枝模様がついたプラチナのエイグレット(羽飾りに似た形の宝飾品)にリセットされました。 コレクションの中のほとんどの作品と異なり、これはヨーロッパの着用者用にインド風に仕上げられました。

フランス人デザイナーであるPaul Iribeの1910年頃のエイグレット
フランス人デザイナーであるPaul Iribeの1910年頃のエイグレットは、ダイヤモンド、サファイアおよび真珠ビーズの羽根飾り付きの、プラチナにセッティングされたムガル時代の彫刻が施されたエメラルドを披露します。 写真提供:Servette Overseas Ltd.(サルベット・オーバーシーズ株式会社)とNew York Metropolitan Museum of Art(ニューヨークメトロポリタン美術館)のご厚意。
大きな宝石のまわりにインドと西洋のデザイン要素をブレンドする伝統は今日も続いており、 展示会で十分に特集されています。 現代宝飾品デザイナーのJAR(Joel Arthur Rosenthal)は 2002年に、ジャイプルにあるピンクの宮殿の突頭アーチの形をしたブローチを制作しました。それは内側に8角形にカットされた、35.56カラットのエメラルドがあり、裏側は白い水晶でセットされています。 そして2010年には、ジャイプール生まれのデザイナーSanti Chaudharyが、ムガル時代に彫刻された31カラットあるエメラルドビーズのリングを作りました。それはビーズが回転できるように、プロングに高くセットされています。
 
インドのことわざによると、「宝石の価値は王様か宝石商にしかわからない。宝石の複雑さを理解できるのは彼らしかいないから。」現在、宝石学者の宝石に対する理解は、 昔の王族のそれをはるかに超えています。しかし、 宝飾品を生活のすべての部分に織りなしていく伝統は、今も根強く残っています。

Russell ShorはGIA(カリフォルニア州カールスバッド)のシニア業界アナリストです。