D. Vincent Manson(D.ヴィンセント·マンソン)(1936~1999年)


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宝石鑑定士および地質学者である Vincent Manson(ヴィンセント·マンソン)博士は、夢想家と自称しましたが、彼の空想を現実にするイニシアチブを携えていました。 南アフリカで生まれ育ち教育を受けたManson(マンソン)は、1969年にColumbia University(コロンビア大学)で地質学の博士号を取得する前に、ヨハネスブルグのDe Beers Diamond Research Laboratory(デビアスダイヤモンド研究ラボ)で研究助手として働いていました。 ニューヨーク市のAmerican Museum of Natural History(アメリカ自然史博物館)での宝石や鉱物の学芸員としての業績が、Richard Liddicoat(リチャード·リディコート)、Eunice Miles(ユーニス・マイルズ)、Robert Crowningshield(ロバート・クラウニングスシールド)などの主要なGIAのスタッフと出会う機会を作ることになりました。 Manson(マンソン)が有する能力とGIAの使命へ敬意を表明したことに感銘を受け、Liddicoat(リディコート)は彼にサンタモニカでの職務を与えました。
 
Manson(マンソン)は、1976年に研究ディレクターとしてGIAに参加し、独自の研究を生み出して宝石学の知識を広げるために新しい施設を開設しました。 1985年に教育ディレクターになったManson(マンソン)は、1999年に亡くなるまでGIAに在籍し、戦略的計画ディレクターとして活躍しました。 この職務で、彼はカリフォルニア州カールスバッドにある現在の場所にGIAの本社およびホームキャンパスを移転するために尽力しました。
 
Manson(マンソン)の在職期間中、GIAの研究施設は、最先端の分析装置を使用して、天然、処理、及び合成石を記録し参照できるデータベースを作成しました。 ダイヤモンドやカラーストーンについて画期的な作品を出版し続け、19年間(1980年から1999年まで)『Gems & Gemology』(宝石と宝石学)の副編集長を務めました。 また、地層の形成に関するドキュメンタリーを制作した映画制作者のコンサルタントも務めました。 学芸員としての経験を踏まえ、彼は著名な宝石コレクションを所持する美術館との関係をより深めました。 彼が築き上げた関係のため、1999年に有名な「Nature of Diamonds(ダイヤの自然)」展示会がSan Diego Museum of Natural History(サンディエゴ自然史博物館)で開催されることになりました。 宝石学の世界への彼の最も不朽な貢献のうちの一つとして、国際宝石シンポジウムを設立するのに貢献したことが挙げられます。当シンポジウムでは、1982年、1991年、そして1999年に、彼が議長を務めました。 これらの貢献のため、1999年に Richard T. Liddicoat Lifetime Achievement Award(リチャード·T. リディコート功労賞)が彼の死後に追贈されることになりました。