Richard T. Liddicoatの残した、謙遜の心


Liddicoatは、奉仕の精神の持ち主として知られ他の人を助けるために教育を鼓舞し、利他的な精神であったと記憶されている。 写真:GIA
編集者注記:Richard T. Liddicoat、GIAの二代目社長は、2002年に亡くなった。 この記事は、Liddicoat氏の長年の友人、同僚や家族の回想に大きな部分的に基づいており、もともと当時のGIA業界季刊誌『The Loupe(ルーペ)』で、2002秋の特別付録に掲載されました。 私たちは毎年、彼の3月2日の誕生日に彼の人生と精神をお祝いします。

Richard T. Liddicoatの同僚が研究所のカールスバッドキャンパスに彼が到着したと耳にするまでに時間はかかりませんでした。 ゆっくりと、しかし確実に、彼の時折の訪問のニュースは、オフィスやキュービクルを通じて、廊下を通る人たちにさえも浸透していきました。

幸運でさえあれば、彼とばったり行き交い、公的にも私的にも、当然のこととして非常に賞賛されるこの人物から、暖かい誠実な挨拶を受けることでしょう。

Liddicoatは身長は高くはありませんでしたが、明らかに宝石やジュエリー業界の巨人でした。 彼の最大の貢献には、国際的に認知されたダイヤモンドグレーディング·システムを作成し、1947年にHandbook of Gem Identification(宝石鑑定ハンドブック)と1964年にJewelers’ Manual (宝石商のマニュアル)として画期的な本を執筆したことがあります。 彼はまた、GIAの教育コースやセミナーを通じて喜んで、利他的に彼の膨大な宝石学の知識をマンツーマンで共有しました。

現代宝石学の父として世界中に知られ、Liddicoatは、「教育を受けた大勢の宝石商を生み出した」ことで信頼されていた、彼の40年来の親友であった、Herb Lewisは述べています。
    
Liddicoatは彼の生涯で出会った無数の人々の心を掴むことのできる人でした。 仕事外で彼をよく知る人々は、彼が楽しく、優しい、穏やかで、謙虚、リーダー、スポーツのナット、社交的な人、真の紳士であったと言います。

良き友

彼のお気に入りの娯楽の一つは、土曜日の朝の親しい友人とのゴルフでした。 Jewelers 24 Karat Club(ジュエラー24カラットクラブ)の元会長Lewisは、彼らの長い友情を通してLiddicoatとゴルフで多くのラウンドを周りました。 彼は良いゴルファーだったが、Liddicoatが宝石学をフォールバックさせたのは良いことだったと言いました。

「Dick と私がゴルフで生計を立てる必要に迫られていたとしたら、飢え死にしていたこと請け合いです」Lewisは言います。 「彼はチャンピオンシップゴルファーはではなかったが、ゴルフを楽しんでいたし、交友のためにプレーしていました。」

彼がOver the Hill Gangと出会った時、Liddicoatは、通常趣味とビジネスをの垣根を超えて交流したし、選び抜かれた友人のグループと毎月ランチをしていました。    

元GIA社長 Glenn Nord は、Al Woodill、Robert Westover、Gene Laroffそして後にGeorge Findley Jr.から構成されるLiddicoatの相棒グループを結成しました。 35年間Liddicoatを知っていたLaroffは、ギャングが合流した時、1、2杯のシャルドネワインを片手にいつも面白い話をしてくれるのを期待していたと言います。

しかし、彼は決して自分のことは話さなかったとLaroffは述べています。

「こういった会合では、彼に何をしていたか話させるのは非常に困難でした。 彼は常に他の人について尋ね、業界で何が起こっていたか知りたいと思っていました」彼は言います。 「ゴルフのスコアについてだって、良かったのか悪かったのか、話したことがないんです。」

Jewelers 24 Karat Club of Southern California(南カリフォルニアのジュエラー24カラットクラブ)の元会長Laroffは、8月中にGIAのカールスバッドキャンパスのLiddicoatの追悼式で行った演説中に、Liddicoatの無私と周囲の良き友でありたいとしていたことを回想しました。

「ある午餐会で、Dickはまるで大きなな自動車事故にあったみたいに現れたたのです」と彼は言います。 「顔全体が腫れあがり、鼻の上にバンドエイドが付いていて、目の回りは青黒くなっていました。

「結局、シャルドネワインの最初の一杯を飲んだ後、私は言いました、「Dick、何があったんだ?」すると彼は「ああ、ちょとしたな手術を受けんだ。」と言いました。ほらね、もし彼に我というものがあったら、家を出たりしなかったんです、でしょう?彼見たく家を出る人なんて誰もいないはずなんです。 でも、そうしたのは、仲間と一緒に過ごせなくなるのが嫌だったんです。」

有能なダンサー

Liddicoatが仲間を賞賛したのと同じくらいに、彼は女性のファンの公正な分け前もありました。 彼は、ビッグバンド時代から音楽を愛し、有能なダンサーで、業界のパーティーのダンスフロアでは大概見つけることができました。

「彼がダンスフロアにいつも最後までいること請け合いです」、 GIAのマーケティング担当副社長Kathryn Kimmelは述べています。

長年の友人であり、ダンスパートナーだったBarbara Westwoodは、Liddicoatが彼女や他の人にいかに特殊な心象を与えたか覚えています。

「そうね、「ガールフレンド」の点では、「とにかく列に並ぶ」と言っておきます。だって、女性ならDick Liddicoatを愛するんですもの」彼女は言いました。 「彼は...無邪気な子供のような人でした。 彼の周りにいて恐縮したことはありません。 彼はいつも相手を快適にしていました。

十分に奇妙なくらいに、自分よりも他の人が重要だと感じさせていました」とWestwood は述べています。 「彼に会うときはいつでも、ただ彼のところに走り寄って、大きな抱擁を与えたいと思うのです。 彼は素晴らしい人でした。」

 

心の探検

彼の女性の友人のうち、Ethel Mae「Emae」Bradburyは、Liddicoatの心で実に特別な位置を占めていました。 彼女は彼の人生の最後の5年間、彼の親友であり、仲間でした。 イベントには彼を伴うし、実質的にすべてを語るために共に時を過ごしたのです、Bradburyは述べています。

ゴルフコースで会った後Emaeの夫とLiddicoatが友達となった1950年代後半以来、二人は知り合いです。 互いの配偶者が亡くなった後も彼らは友情を育み、むしろお互いによく会うようになった近年では、関係が親密になったのです。

「それは緩やかなものでした。 (関係性が変質したような)「瞬間」はありませんでした」とBradburyは述べています。 「私達は会うことを重ね、 関係がいわゆる熟成するようなものでした。 彼がこのような良い仲間で幸運でした。」

彼女はLiddicoatは真の探検家だと言います。サンタバーバラに行こうとした時です。 休暇でも一箇所に滞在することを好みません。

「浜に座ってもいられません」とBradbury は述べています。 「ドライブしたり、博物館に行ったり、常に外に出掛けて物を見たかったのです。 探検が彼の初恋でした。 例え、泥の山に彼を置いたとしても、周囲にあるものを拾い上げあり、見つけたりして、幸せになれるのです。 彼は、岩石収集が大好きでした。」

それなのに、家ではテレビにくぎ付けになってサッカーやバスケットボールを見ていること請け合いだとBradbury はいいます。

「彼は大のスポーツ好きでした」と彼女は言います。 「もちろん、トレードされた人も、誰がどのポジションなのかも記憶しています。 彼はカレッジフットボールも大好きで、母校のミシガン大学に声援を送っていました。」

ウィットに溢れる

Liddicoatは、皮肉ったユーモアがあることでも知られていました。 彼のお別れ会で追悼の言葉を辞した家族の Hilary White氏は母親宅の夕食での彼ののことを記憶しています。

「彼は、面白いというより冗談や駄洒で困惑するような、すごく嘲笑的なドライユーモアのセンスの持ち主だ」と彼女は言います。

普段は「純粋な精神」を備えた人の良い友人ですが、時々多くの人が知らない彼の一面を見せるのですが、大抵は楽しいおふざけでしたとNordは言います。

「彼は背筋に寒気が出るようなちょっとした茶目っ気があって、、、ほんの少しだけ」Nordは説明します。 「彼は常に良いジョークが好きでした。」

Liddicoatは、大学を出た直後の短期的な仕事に就いた時、少年のような茶目っ気を出さずにはいられませんでした。 彼はルイジアナ州からテキサス州に危険物を運ぶトラックの運転手に雇われました。 この車両は、「危険物」という表示ラベルがあって、前車両の運転手がバックミラーで読めるようにグリルの上部に逆向きに書いてもありました。
    
Liddicoatは、前車両の運転手がどんな反応を見せるのかが知りたくて車の後ろに接近しました。
    
「彼は大きな蹴りを入れられそうになったんです」Laroff氏は言います。 「彼は車の直ぐ後ろにトラックを停車しようとしましたが、彼の言うに、その人たちは、車を道の片側に寄せないと銃を撃つと言っていました。 彼はそれが楽しかったのです。 彼は、途轍もないユーモアのセンスを持っていました。」

寛大な精神

Liddicoatは、彼と一番近かった人たちにとって、ひょっとすると教育に対し利他的で、教育し、人助けに奮起する人として、最も良く記憶されているのでしょう。 たずねられればいつでも彼は惜しげなく宝石学の知識を教えてくれました。

学生に引き留められ質問に答えていたために、Liddicoatが会議に遅れて到着することは珍しくなかったとLewis氏は記憶しています。 彼は、業界の数えきれないほど大勢の人の助言者だったのですが、中にはGIA社長William E. Boyajian, G.Gもいて、Liddicoatのアドバイスやインスピレーションのおかげで価値観やキャリア形成ができたと言います。

「Liddicoat氏の真似は誰もできないと思います」とBoyajianは述べています。 「彼は私の心の中の業界や宝石学の真の英雄であり巨匠でした。 人に影響力を与えるリーダーとしての尺度にインスピレーションが挙げられるならば、Liddicoatは、評判の高い指導者だったと信じています。」

Nord氏は、お別れ会の際にLiddicoatの寛大な精神の持ち主である例を紹介してくれました。

「研究所での約3年後、Dickはハンナ(私の妻)と私が持ち家がなかったことを非常に気にしていました。その頃、私たちは二人の子供とアパートに住んでいたのです」と彼は言います。 「彼は私達が家を持つべきだと確信していたのですが、我々は財政的に家を買う余裕はありませんでした(当時)。 勿論、Dickですから、決然としていました。 彼は、「Glenn、外出して家を見つけて来るんだ」と言いました。 君が気に入る物件を見つけよう。」

「最終的に私たちが本当に気に入るものが見つかりましたが、それは実際に私たちの手には負えなかったのです。 私は研究所に戻って行って、彼に言いました。...彼は、「君は家を手に入れるんだ」というのです。そして、彼は電話取ると、「Glenn Nordが間もなくそちらに行くが、お金が必要なんだ」と地元の銀行にかけあいました。 彼が必要なだけ貸してくれれば、私が連帯保証人になるよと言ったのです。

「これがDick Liddicoatです」とNord は述べます。 「想像できない程のことを人のためにできる素晴らしい人です。」

Liddicoatが収めた業績と例を模倣することだって不可能でしょう。

「仕事に対しても強い倫理観、利他的精神を持つ偉大な人物」とLaroffが表現する通り、Liddicoatは多くの人にとって道を照らす光であり、もっと大勢の人にとっては貴重な友人でした。

7月23日の彼の死が、宝石および宝飾品業界の人々に愛され、尊敬された真の伝説的人物のキャリアの終焉を意味します。 しかし、彼の貢献と、彼の人生を通して関係した家族や友人は、忘れ去られることはありません、とGIA Gem Trade Laboratory(宝石取引研究所)の主任Michael Claryは語ります。

「偉大な人が亡くなる時、その偉大さは彼らと共に死ぬと言われています。 しかし、彼の偉大さは伝え続けられると信じています。 彼によって感化された私たちの中で存在し続けるのです。」