Charles “Chuck” Fryer(チャールズ「チャック」フライヤー)
(1928年-2003年)
朝鮮戦争での軍務期間を含む兵役前、Fryer(フライヤー)はガラスをカットして窓枠に取り付ける職人であるガラス工として働いていました。 復員軍人援護法からの給付金を使用して、建設作業を続けながらGIAの通信教育に入学し、ついに1963年にGGおよびFGAの両方のディプロマを取得しました。 創立会員およびSan Diego Gemological Society(サンディエゴ宝石学会)の会長であるFryer(フライヤー)は、1966年、講師としてGIAに入社しました。講師として貢献したのはわずかな間であり、その後1967年にGem Trade Laboratory(宝石取引ラボ)の管理者となりました。 1987年、彼は宝石鑑別サービスのディレクターに抜擢され、1993年に退職するまでこの職務に従事しました。
GIAのラボサービスは、世界有数の宝石学者の一人としての彼の評判を導いた研究を手掛けていたFryer(フライヤー)のもとで繁栄していました。 X線回折を用いて、ピンクのベニトアイト、2つ目の既知のペイナイト結晶、初めてカットされたエレメージェーバイトのような非常に稀少な鉱物を鑑別しました。 また、ジェードのような宝石素材であるマウ シット シットの鉱物成分も鑑別しました。 それまでのX線回折試験ではサンプルを粉末に粉砕する必要がありました。これに対して、事実上検出不可能でも表面にある内包物を分析することができるスクレーピング技術をFryer (フライヤー)は開発しました。 GIAの職務外では、彼は頻繁に宝石鑑別に関する訴訟において専門家証人として呼ばれました。
宝石の鑑別に関するFryer (フライヤー)の記事は、Gems & Gemology(宝石と宝石学)、Journal of Gemology(宝石学ジャーナル)、およびJewelers’ Circular-Keystone(ジュエラーズ・サーキュラーズ・キーストーン)にて掲載されました。 特に注目すべき点は、G&Gの1986年秋号の天然および合成アメシストの差異を明らかにする研究でした。 Fryer(フライヤー)は、1981年から1997年までラボの記録セクションの編集者として引き続きG&Gに貢献し、2003年に亡くなるまで、同誌の編集審査委員会にて貢献し続けました。 ラボでの多大な影響力がある彼の研究結果は、GIAの評判を宝石の鑑別における世界的権威として進展させました。