フィールドレポート

テネシー州における淡水真珠の採取


北米の淡水産貝の資源が非常に多様で豊かであることも一因となって、北米には天然真珠の採取の長い歴史があります。 南北戦争後、真珠の宝飾品はヨーロッパよりもアメリカで人気が高まりました。 この人気はある程度ヨーロッパのファッションアイコンに端を発したものでしたが、米国、特に南東部の州における川や湖で淡水真珠が発見されたことにより影響を受け、その人気が支持されていました。 1979年に真珠は正式にテネシー州の州宝石として指定されましたが、川沿いに住んでいる人々にとって真珠は常に自分たちの生活の一部となっています。

口の開いたピンクの淡水産貝殻を手にする少女
テネシー川から採取したpink heelsplitter(ヒラツバサカワボタン)を手にする
16歳のSabrina LaFaye(John Latendresseの孫娘)。 これはSabrinaとGIAの研究チームにとって
初めての淡水産貝採取の体験である。 写真:Tao Hsu/GIA

1984年、James SweaneyとJohn Latendresseは、Gems & Gemology(宝石&宝石学)の読者にアメリカの淡水真珠の産業を紹介しました。 同時期に、Latendresse家はテネシー州カムデンにあるバードソング・クリークの真珠養殖場でアメリカの淡水養殖真珠を初めて採取しました。 その後、新しい情報がなく30年もの月日が流れました。 そこでGIAは2016年6月にLatendresse家とその真珠養殖場を再訪するために共同チームを派遣しました。 研究者がDNAバーコーディングのために淡水産真珠貝の試料を検査することに焦点を当てる一方、教育部チームは、この産業に関する詳細な最新情報を収集しました。

真珠貝の採取
American Pearl Company(アメリカンパールカンパニー)とともに
GIAチームは、テネシー川付近にある真珠養殖場とAmerican Pearl Company(アメリカン・パール・カンパニー)の所有者、Latendresse家を訪問した。 グループは、DNAバーコーディングのために淡水産真珠貝を収集した。

この短い遠征旅行中、チームは有名なケンタッキー湖を訪れました。ここでは、私たちのためにダイバーおよびガイドを務めてくれたDon Hubbsが潜水し、5つの異なる淡水産真珠貝の試料を収集しました。 Donは、Tennessee Wildlife Resources Agency(テネシー州野生生物資源庁)(TWRA)で淡水産貝プログラムのコーディネーターを務めており、25年以上も当庁で働いています。 この試料は、GIAの真珠研究のDNAバーコーディングプロジェクトのために重要となります。 また、かつて繁栄していた町カムデンとバードソング・クリークの真珠養殖場も訪れました。 旅の最終日には、American Pearl Company(アメリカン・パール・カンパニー)のナッシュビル支社を訪れ、同社の現社長Gina Latendresse(John Latendresseの娘)から貴重なお話しを聞かせていただきました。 私たちは、Latendresses家の素晴らしい真珠のコレクションを見る機会をいただき非常に感謝しています。

湖のそばに立つ8人のグループ
一行はケンタッキー湖で淡水産貝の貝殻を採取する準備が整った。 左から右: Chunhui Zhou、Emiko Yazawa、Sabrina LaFaye、Gina Latendresse、Don Hubbs、Joyce Ho、Artitaya Homkrajae、Tao Hsu。 Ginaはこの遠征旅行中に私たちを案内してくれた。また、Donは私たちのリバーガイド兼ダイバーを務めてくれた。 写真:Pedro Padua/ GIA

テネシー川とケンタッキー湖

テネシー川の本流はテネシー州東部に位置するノックスビルの近くで始まります。 全長およそ652マイル(1049キロ)のテネシー川は、オハイオ川最大の支流です。 テネシー川はノックスビルからアラバマ州北部へと横断しながら南西部に流れ出し、同州を経て西に渡り、ミシシッピ州との国境の一部を形成して、テネシー州へと再び戻ってきます。 テネシー州では、この川がテネシー州を中部と西部に分割します。 グループはナッシュビルから西部へと運転し、テネシー川のこの部分を横断しました。 真珠の町、カムデンはこの川のすぐ西にあります。

テネシー川の地図
テネシー川とその流域。 この川の最初の「パールラッシュ」はテネシー州東部にある支流、クリンチ川で起きた。 この遠征旅行で試料となる淡水産貝は、テネシー州北西部のケンタッキー湖より採取された。この地域には、アメリカ唯一の真珠養殖場もある。

ケンタッキー湖はテネシー州北西部とケンタッキー州南西部に渡って位置します。 この湖は米国東部で最大の貯水池であり、1944年にケンタッキーダムが建設された後に作られました。 全長約184マイル(296キロ)もあり、オハイオ川に合流する前のテネシー川の終端に位置します。 現在は、多機能を備えたダム、貯水池、近隣の観光地が、主要な観光スポットとなっています。 素晴らしい景色、水上スポーツ、川の豊かな歴史を満喫するために全国から多くの人々がこの地域を訪問します。 バードソング・クリーク真珠養殖場は、カムデンの近くにあるケンタッキー湖の西岸に隣接しています。 DNAバーコーディングプロジェクトのために収集された淡水産貝はケンタッキー湖のこの辺りから採取されました。

ケンタッキー湖の地図
ケンタッキー湖は、テネシー川の終端にある巨大な人工貯水池である。 グループが搭乗したボートの経路が、
紫色の点線で地図に示されている。 かつてここは肥沃な農場であったため、
プランクトンが豊富に生息し、
淡水産貝が生存するのを可能にした。 John Latendresseがかつて所有していた真珠養殖場は
Birdsong Creek Marina (バードソング・クリーク・マリーナ)にあり、ここは現在人気の観光名所となっている。 以前、淡水産貝の貝殻を採取するダイバーやバイヤーのほとんどが
カムデンに定住していた。

テネシーの歴史的な真珠採取

テネシー州の淡水真珠と淡水産貝の貝殻の産業は、世紀の変わり目の直前にテネシー州東部のクリンチ川で「パールラッシュ」が起こったことで始まりました。 1895年から1936年までの間、真珠のマーケティングや生産において全国有数の州のひとつとして、テネシー州が有名になり始めました。 したがって、テネシー州の真珠の歴史は、米国東部の真珠の歴史の縮図のようなものです。

博物館で展示されている歴史のあるボート
淡水産貝の貝殻における事業の収益性が高かったとき、ダイバーは自分のボートを建築し、ボートに住んでいた者もいた。 Tennessee River Folklore Center(テネシー川民俗センター)で展示されているこのたも綱船は、おそらくこの種類の船では最大のものである。 所有者はボートに住み、淡水産貝を採取して生計を立てていた。 写真:Tao Hsu/GIA

20世紀初頭の3分の1の期間に、テネシー州で数百万ドル規模にも及ぶ真珠母貝のボタン産業のブームが起こりました。 このボタン産業は労働力とコストの問題が発生したため1950年代に終了しましたが、商業的な貝殻の産業はボタン産業と同時には衰えませんでした。 日本の養殖真珠取引の高い需要を満たすために、第二次世界大戦後、毎年数千トンにも及ぶアメリカの淡水産貝の貝殻が輸出されました。 収益性の高いこの事業は1940年代から2000年代まで続き、 およそ1960年代から1990年代までの最盛期には、テネシー州における淡水産貝の貝殻の事業では約2,000人が雇用され、約5000万ドルの収益を記録しました。 この時期に世界で生産された養殖真珠の90%近くには、アメリカの淡水産貝で作られたが使われていました。

淡水産貝の採取は、かつて「たも網船」で行われていました。 たも網は数多くのフックがぶら下がっている長いまっすぐな支柱の棒です。 フックが淡水産貝に届くように、たも網を水中に下げ、 淡水産貝は条件反射によりフックの上で閉じるので、採取することができます。

たも綱から下がる大量のフック
養殖業者はかつて古い農具の一部からたも綱とフックを作っていた。 たも綱を使用した漁法は淡水産貝を収穫するために非常に効率的な方法であった。 写真:Tao Hsu/GIA

2000年までの日本における真珠の養殖は、重度の汚染と1990年代末期に起きたアジア経済危機のために、1990年代の規模に比べて約20%と劇的に縮小しました。 その後、中国が直ちに主要な淡水養殖真珠のサプライヤーとなりましたが、 残念なことに中国ではアメリカ産淡水産貝の貝殻の需要は高まりませんでした。 中国で生産された真珠の大半は、ビーズ核を使用した養殖ではなく組織核を用いた養殖だからです。

開いた淡水産貝の貝殻
淡水産貝の貝殻とその用途

テネシー州における淡水真珠の養殖の短い歴史では、淡水産貝の貝殻の事業における歴史と一部重なっている期間があります。 真珠が養殖される以前、アメリカ産真珠はすべて天然であり、ダイバーによって収集されていました。 American Pearl Compan(アメリカン・パール・カンパニー)の創設者、John Latendresseは、アメリカに真珠の養殖を紹介し、ここで最初に真珠の採取に成功した先駆者でした。 当初、Latendresseは日本で淡水産貝の貝殻と真珠の貿易業務に従事していました。 彼は日本の友人より挑戦を受けて、アメリカで淡水真珠を養殖する決心をしました。 1963年から1983年まで、彼の日本人の妻、Chessyの援助と支持のもとで真珠の養殖の実験を行いました。 20年間にも及ぶ努力が実り、1983年についにアメリカ初の有核淡水養殖真珠を採取することに成功しました。 バードソング・クリークにある彼らの養殖所は、長年に渡って宝飾品の小売業者のために養殖真珠を生産していましたが、現在は当地にあるギフトショップでのみご覧いただけます。

四人の男性と一人の女性
1987年、E.J.Gübelin博士がLatendresse家と彼らが経営する真珠養殖場を訪問した。 Latendresses家はすでに養殖真珠を何度か採取していた。 前列:Gübelin博士(左)、John Latendresse(右)。 後列:Peter E. Boehm博士(左)、Marie-Helen Gubelin Boehm(中央)、John “Jake” Latendresse(右)。 写真:E. J. Gübelin博士のコレクション
さまざまな形の養殖真珠が並ぶトレイ
バードソング・クリークの真珠養殖場で採取された
有核淡水養殖真珠が並ぶトレイ。 Latendresse家は多くの異なる形状の真珠やブリスター真珠を養殖した。
写真:Artitaya Homkrajae/GIA

John Latendresseが2000年に亡くなった後、この養殖場は現在の所有者Robert Keastに手渡され、58エーカーを誇るレクリエーションセンターになりました。 小規模な真珠養殖場とTennessee River Freshwater Pearl Museum(テネシー川淡水真珠博物館)があるBirdsong Creek Marina and Resort(バードソング・クリーク・マリーナ・アンド・リゾート)は現在、一般に公開され、人気のある観光地となっています。 Latendresse家は真珠の養殖を辞めましたが、依然としてナッシュビルで真珠の事業に従事しています。 同社は、JohnとChessyの長女、Gina Latendresseが監督および運営しています。 Latendresse家、彼らの素晴らしい真珠のコレクションおよび事業に関する詳細は、今後掲載される記事『Catching the Orient of American Pearls(アメリカ産真珠のオリエントを捕まえる)』をお読みください。

湖と木々と青空
Birdsong Creek Marina and Resort(バードソング・クリーク・マリーナ・アンド・リゾート)の外観。 非常に小さな真珠養殖場が残されており、画像の右側のちょうど沖合いに見られる。 写真:Artitaya Homkrajae/GIA

豊富な淡水産真珠貝の資源

世界の各地と比較すると、北米は非常に多様な母貝の生息地で溢れています。 既知の1,000種のうち、およそ300種が北米で発見されており、発見される場所は米国南東部に集中しています。 アメリカ先住民は、食品、道具、シンプルな装飾品にこの資源を使用しました。 驚くべきことに、彼らは淡水産貝から採取された真珠には無関心でした。 天然真珠を見つける可能性は皆無に等しいので(10,000分の1未満)、膨大な数の淡水産貝が天然真珠産業を支援するために必要となります。 また、死亡率および廃棄率が高いため養殖真珠産業においても同様のことが言えます。

アメリカにおける淡水産貝の分布図
アメリカの淡水産母貝の資源は非常に豊かである。 ほとんどの種が東部、特に南東部に集中しており、 テネシー州は最も種の数が多い4つの州のうちのひとつである。 淡水天然真珠は、東部のほとんどの州で発見されている。

海水産真珠母貝とは異なり、淡水産貝が生存および繁殖するためには非常に厳格な生活環境を必要とします。 グロキジウムと呼ばれる淡水産貝の幼生は魚の寄生虫であり、 宿主となる魚なしでは生存できません。 繁殖するために十分成長する前に、幼生期の何年もの間堆積物に住み着きます。 淡水産真珠貝は地球上で最も長く生存する動物の1種であり、なかには何世紀も生存するものもありますが、アメリカでは淡水産真珠貝の数が急激に減少しているという危機的な状況に直面しています。 第一次世界大戦終了後、人々が主要河川やテネシー川の多くの支流に沿ってダムを構築し始めて以来、この危機に対する懸念が強まっています。 多くの淡水産貝種とその宿主となる魚種が安全な生息地を失いました。 また、真珠母貝ボタンの産業が全盛期に達していた頃に乱獲が起こり、淡水産貝の貝殻の産業でも多くの重要な種の数が厳しく減少しました。 さらに、汚染、外来種の導入、さらには地球温暖化のため、淡水産貝の数の減少に拍車がかかっています。

貝種の保全状況を示す円グラフ
乱獲、生息地の破壊、外来種の侵入のため、
北米ではおよそ300種の淡水産母貝の多くが危険にさらされている。 この円グラフは
Strayer他、『Changing Perspectives on Pearly Mussels, North America’s Most
Imperiled Animals(北米で最も危険にさらされている生物、淡水産真珠貝の変化しつつある見解)』 BioScience、第54巻、5号、2004年より再現。

要するに、これらのマイナス要因のため、70種の淡水産貝が絶滅危惧種となり、今後さらにより多くの淡水産貝が絶滅危惧種になると予測されています。 いくつかの種はマイナス成長率の下でさえも長い期間生存するため、現在、種の数はあまり減少したように思われないかもしれません。 しかし、マイナス成長率ということは、給料日が来るまで、巨大な「絶滅の債務」を蓄積していることという意味です。

淡水産貝のサイズを測定するリングを持つ手
Ginaが、計測用リングを使用して淡水産貝の貝殻を測定する方法を筆者に示す。
リングをすんなり通る貝殻は、法律で定められている採取のサイズより小さいため、
川に戻される。 写真:Tao Hsu/GIA

私たちのためにリバーガイド兼ダイバーを務めてくださったDon Hubbsが、淡水産貝の種とケンタッキー湖の保全について私たちに説明してくれました。 資源を枯渇から保護するために、法律で定められたサイズよりも小さい淡水産貝を採取した場合は湖に戻す必要があります。 それぞれの種により、サイズの制限が異なります。 ダイバーは、異なるサイズの金属製のリングを使用して採取した淡水産貝を測定することで、サイズを測ります。 採取した淡水産貝が大きくてリングを通過しない場合、合法に採取できます。 そうでない場合は、規制に従い湖に戻さなくてはいけません。 この規制に従わないダイバーは罰金を科されます。 また、商業目的のために淡水産貝を採取するダイバーは、ライセンスを購入する必要もあります。 Hubbsと彼の同僚はケンタッキー湖をパトロールし、淡水産貝の数の監視や絶滅危惧種の研究を行い、違法な採取が行われているかどうか確認しています。

選別テーブルの上にあるリングと淡水産貝
これら3種の淡水産貝(左から右)は、ウネカワボタン(三山)(Amblema plicata)、エボニー(Fusconaia ebena)、ウォッシュボード(Megalonaias nervosa)。 それぞれの淡水産貝の種により、採集できるサイズの制限が異なる。 ダイバーやバイヤーは同じ規則に従う必要がある。 写真:Tao Hsu/GIA

河川の自然保護主義者が努力を積み重ね、淡水産貝の貝殻の産業が縮小したおかげで、この地域の主要な淡水産真珠貝の数は徐々に増加しています。 Hubbsによると、過去10〜15年の間の商業目的での淡水産貝の貝殻の収穫高は年間数100トン未満であり、これは20年前の年間数1000トンから劇的に減少しました。 1999年、TWRAは最も貴重とされている貝殻の種 washboard(ウォッシュボード)の規制上のサイズの制限を3.75インチから4インチへと更新しました。 この新しい基準により、この淡水産貝を保護するのにさらに役立つことになります。

Hubbsは、ケンタッキー湖の淡水産貝の数の将来について非常に前向きであり、一定量の淡水産貝が採取されるこの湖の持続可能性について自信を持っています。 また、Virginia Polytechnic Institute and State University(バージニア工科大学)やTennessee Technological University(テネシー工科大学)などの主要な大学から多くの学生が、淡水産貝保全プログラムに関与していることを私たちに伝えました。 人々が採取できる淡水産貝の量について尋ねたところ、年間500〜600トンが許容範囲であると述べました。

ケンタッキー湖
淡水産貝資源
Donがケンタッキー湖での現在の淡水産貝保全の状況を説明し、Latendresseeが真珠養殖場を始めた当時の懐かしい思い出を語った。
ダイビングボートの上に立つ男性
この遠征旅行でリバーガイド兼ダイバーを務めてくれたDon Hubbsは、
25年以上にわたってTWRAに勤務している。 Donは、ケンタッキー湖の淡水産貝保全に関するTWRAの職務を誇りに思っている。
写真:Artitaya Homkrajae/GIA

DNAバーコーディングのために淡水産真珠貝を採取

この遠征旅行の主な目的は、真珠の鑑別を支援するために、ケンタッキー湖から重要な淡水産真珠貝の貝殻を収集し、DNA分析を行うことでした。 Don Hubbsが湖の底に潜水し、淡水産貝を手で収集しました。

ドックの上を歩く人々
潜水での調査に向けて出発の準備をするGIAチームと私たちのガイド。 写真:Artitaya Homkrajae/GIA

淡水産貝は部分的に泥の堆積物上に露出しているので、つま先で掘り起こすのは淡水産貝がいる可能性のある生息地を探す一つの方法です。 この動作は潜水できない方が容易に行うことができます。 しかし、つま先掘りは浅瀬でのみ行うことが可能であり、浅瀬は必ずしも淡水産貝を探すのに理想的な条件ではありません。 淡水産貝は、全幅数センチメートルから数キロに及ぶ地域に渡って、随所に散らばって生息しています。 さらに、淡水産貝は堆積物の底部に群がっている傾向があります。 特定の種が生息する堆積物を見つけるには、その地域を精通している経験豊富なダイバーが必要となります。 現地に詳しいDonは、この地域の環境、特に淡水産貝が生息する堆積物に関して非常に精通しています。

ダイビングボートの人々
Don Hubbs以外の全員がボートに乗った。 船長はDonのTWRAでの同僚、Stevenであった。 写真:Pedro Padua/GIA 船長はDonのTWRAでの同僚、Stevenであった。 写真:Pedro Padua/ GIA

GIAのメンバーはGina Latendresseと彼女の娘と一緒にボートに乗り、DonがTWRAのボートで先導しました。 どちらのボートもニュージョンソンビルから出発し、 試料を採取する最初の地点に到達するのに約10分かかりました。 潜水は簡単な作業ではありません。 視界が悪いため予測がつかず、かなり怖いこともあります。 地元の人々の中には、川での潜水は自分たちの人生の中で最も恐ろしい経験だった、と私たちに語る人もいました。 湖底の状態に加えて、湖水の表面で人々、ボート、はしけが動いたりするので、非常に危険なことになりかねません。 安全な潜水を体験するには、一定の規則に厳密に従う必要があります。

湖のダイビングボート
最初の潜水地点に到着した後、Hubbsは水面下にダイバーがいることを他の人々に警告するために、2つの旗を掲揚した。 写真:Tao Hsu/GIA

Donは、水面下にダイバーがいることを人々に警告するために、潜水する場所で2つの旗を掲揚しました。 これらはダイバーダウンフラッグと呼ばれています。国際信号旗のアルファ(A:潜水作業中、徐速通過せよ、の意)は青と白で、北米では左上隅から右下隅にかけて白いストライプがある赤い旗です。 Donは、ダイビング器材やボートのダイビング支援システムを見せてくれました。 酸素ボンベは、ダイバーが水中で45〜60分間潜るのを可能にし、2人のダイバーが同時にボートから出発することができます。 この最新型のダイビングボートにはボートで酸素ボンベを補充できる空気圧縮機があるので、ダイバーがボンベを補充するために岸に戻ることなく何時間も淡水産貝を探すことができます。 また、その機器はボートにいる者と水中に潜っているダイバーの間の通信も可能にします。

テーブルの上にあるダイビング器材
潜水の準備

準備ができた後、Donは水の中に飛び込びました。 視界が非常に悪いため、淡水産貝をすぐ発見することはできません。 ダイバーは、淡水産貝が露出している部分を感じれるように手を使って見つけます。 経験豊富なダイバーは、淡水産貝の形態に基づいて種を判断することができます。 1回の潜水は約5〜10分かかり、何回か潜水していただいた後、異なる種の十分な試料が採取されました。

ボートで淡水産貝を持ちながら手を振るダイバー
淡水産貝の採取

最初に試料を採取した地点では数回潜水しました。 「bankclimber(バンククライマー)」と呼ばれる種以外、研究者が関心を寄せるほぼすべての主要な種が収集されました。なので、私たちはバンククライマーを見つけるために別の場所に移動することにしました。 2番目の場所で、バンククライマーや他の淡水産貝種をついに採取しました。 pink heelsplitter(ヒラツバサカワボタン)の真珠母貝は、非常に明るい鮮やかなピンク色をしており、オリエント効果があります。 Donは、テネシー川に生息している淡水産貝の分類法と生体構造について、GIAのチームに簡単に説明してくれました。

簡単な生体構造の解説
Don Hubbsが淡水産貝の生体構造について簡単に説明をした。
中がピンク色の大きな開いた淡水産貝の貝殻
ヒラツバサカワボタン(Potamilus alatus)の真珠母貝の中には、このように見事に明るい鮮やかなピンク色をしたものもある。 この素材は、それ自体を象嵌細工や宝飾品で使用できるほど十分美しい。 Latendresse家はこれらの一部を利用してブリスター真珠を養殖した。 写真:Artitaya Homkrajae/GIA

当日は、真珠ができる種として知られている重要な5種の貝殻を十分に採取できました。 川岸に戻った後、GIAの真珠研究チームはGinaの専門知識のもとで種ごとに貝殻を選別しました。 すべての淡水産貝の貝殻が種ごとに選別された後、ラベルが付いたビニール袋に入れられ、出荷するまで新鮮に保てるように氷が入ったバッグに保存されました。

淡水産貝の試料を選別する三人の女性
岸辺に戻った後、GIAの真珠研究グループが種ごとに淡水産貝を選別するのをGina Latendresseが助けてくれた。 その後、混同を避けるために試料をラベルが付いたプラスチック製の袋に入れた。 写真:Tao Hsu/GIA

採取した5種は、ウォッシュボード(Megalonaias nervosa)、エボニー(Fusconaia ebena)、ヒラツバサカワボタン(Potamilus alatus)、パープルバンククライマー(Elliptoideus sloatianus)、ウネカワボタン(三山)(Amblema plicata)です。 これらのうちウォッシュボードが最も貴重な種であり、現在、テネシー州では限定された淡水真珠の養殖に使用されています。 ウォッシュボードの貝殻は非常に厚く、特に蝶番の部分に沿って厚くなっているのでビーズ作りに最適です。 商業的な貝殻の産業が最盛期を迎えていた間、ウォッシュボードは1ポンド当たり約4ドルで販売されていました。 現在の価格はわずか約50セント(約50円)です。 エボニーは、ケンタッキー湖の中で最も豊富な種です。 Donが毎年の全収穫高を重量で推定したところ、約50%がエボニー、20%がウネカワボタン(三山)、ブタノツメガイ(もみじ)とピッグトウ、10%~15%がウォッシュボードです。 この5種すべてが、天然真珠を生成することができます。したがって、この5種に関して遺伝的な特徴を把握することが、いくつかの無核養殖真珠と同様の構造を持つ天然真珠を鑑別するために重要となります。 この5種は、すべてそれぞれの名称に対応した非常に独特な外観があります。

2つの淡水産貝
淡水産貝の試料

すべての試料はドライアイスと梱包して、GIAがDNAプロジェクトで共に作業している研究所に出荷されました。 梱包は​​、地元にあるドライアイスの会社で行いました。 ドライアイスの大きな塊は、厚めにスライスされ、紙で包装し、淡水産貝の貝殻の試料のそばに置きました。 ドライアイスの配送と輸送は非常に厳しい規制を伴い、危険でもあります。 例えば、ドライアイスを自動車で輸送する場合、換気が十分に行われるよう窓を開けておく必要があります。 ドライアイスが昇華して発生する二酸化炭素は酸素より重いので、車内の低い場所に滞留します。 このため高濃度になり易いので、自動車にいる人は警告なしに窒息してしまうことがあります。

試料を梱包しラベルを付ける女性たち
淡水産貝の試料の梱包

DNAバーコーディングは、正確に種を鑑別するための強力な手法です。 この技術は、分類学、遺伝学、コンピュータサイエンスを革新的に組み合わせています。 真珠も母貝から有機物残渣を少量含んでいるため、テネシー川で採取される淡水産真珠貝の貝殻をDNAバーコーディングで分析することにより、将来真珠を鑑別するための遺伝子データベースを作成することができます。 GIAの真珠研究チームは、DNAバーコーディングを真珠の鑑別に利用するためにさらなる研究へ注力します。 これは、世界中のGIAに提出される、鑑別が困難なケースに役立つことは間違いありません。

テネシーにおける現在の真珠産業

かつて繁栄していた貝殻の事業や真珠の養殖は、1990年代後半に徐々に衰退し、特にJohn Latendresseが2000年に他界した後は終わりを迎えました。 バードソング・クリーク真珠養殖場は現在の所有者に売却され、 現在は、真珠博物館、小規模の真珠養殖場、真珠のジュエリー・ショールーム、ボートの波止場やリゾートを運営しています。 これは、現在でも養殖している北米唯一の真珠養殖場です。

テネシー州の真珠産業
Gina Latendresseが、テネシー州の真珠産業に関する彼女の知識およびその将来に対する彼女の見解を語った。
Birdsong Resort & Marina(バードソング・リゾート&マリーナ)の入口
真珠養殖場は、現在の所有者がリゾート&マリーナに変更した。 ここは、テネシー州で最も人気のある観光地のひとつである。 写真:Artitaya Homkrajae/GIA

この真珠養殖場の生産は非常に限られているため、主にここのギフトショップに真珠を提供したり、訪問者に真珠養殖の技術を紹介しています。 主な淡水真珠のサプライヤーである中国からの影響および競争のため、世界のその他の場所では淡水真珠養殖場の数が大幅に減少しています。 その結果、過去10年間に商業用の貝殻の産業も影響を受けてきました。 Ginaによると、この産業が最も繁栄していたときは、フルタイムで淡水産貝を採取するダイバーの人数は約2,000人にものぼりました。 ところが、TWRAデータによると、2013年には淡水産貝を採取するための潜水許可証はわずか43枚のみ発行されました。 現在、テネシー州で淡水産貝の貝殻を採取するため潜水するダイバーは20人にも満たないそうです。

湖面に浮かぶPVCパイプ
Latendresse家が開発した真珠養殖場の一部が、バードソング・リゾートに残っている。 観光客は、ボートツアーに参加して真珠の養殖がどのように行われているかを見学できる。 写真:Tao Hsu/GIA

遠征旅行中、私たちのグループはカムデンの淡水産貝の貝殻のバイヤーに会いました。 Steve Hatleyは、商業用の貝殻の産業でかつてGinaの父と働いたことがあり、現在は町で唯一の貝殻のバイヤーとなりました。 彼は、貝殻を選別する手順を説明し、その手順の際に使用されるシェーカーやその他の道具を見せてくれました。 20年前と比較すると、淡水産貝の貝殻の価格は大きく下落し、多くの人々を廃業に追い込みました Ginaは、淡水産貝の貝殻に対する日本の需要は依然として停滞している、とGIAチームに語りました。 また、日本は今後50年間持続するほど十分な淡水産貝の貝殻を備蓄しており、中国は自国産の貝殻を使用するとも指摘しています。

淡水産貝と天然真珠を手にする男性
淡水産貝の貝殻の選別

真珠と貝殻の事業が衰退したため、かつて繁栄していた町、カムデンは活気を失いましたが、地元の淡水産貝の数を増加さえるのに貢献しました。 アメリカの真珠産業の将来について尋ねたところ、Ginaは非常に前向きです。 この産業は滅んでしまったのではなく眠っているだけである、と彼女は考えています。 多くの淡水産貝にある真珠や真珠母貝が見事に自然の美しさを放っていることは明らかです。 この低迷期間は、生命力を再び蘇らせるのに時間を必要とする天然資源に依存するこの産業にとってプラスになるでしょう。

川のボート
日本からの需要が減少し、テネシー州の淡水産貝の資源が徐々に増加している。 産業が天然資源に依存している場合、需要の減少は必ずしも悪いことではない。 写真:Artitaya Homkrajae/GIA

Tao Hsu博士は、GIAカールスバッドでGems & Gemology(宝石と宝石学) のテクニカル編集者を務めています。 Chunhui Zhou博士はニューヨークのGIAで真珠研究の科学者および真珠鑑別部門のマネージャーです。 Artitaya HomkrajaeはカールスバッドのGIAのジェモロジストです。 Joyce Wing Yan HoとEmiko Yazawaは、ニューヨークのGIAのジェモロジストです。 Pedro Padua は、カールスバッドのGIAでビデオプロデューサーを務めています。

免責事項

GIAスタッフはリサーチを目的に、鉱山、 製造業者、 小売業者の他、 宝石およびジュエリー産業に関わる場所や企業を頻繁に訪ね、市場の見識を深めるよう努めております。 GIAは、訪問中にスタッフを受け入れ、貴重な情報を提供してくださった皆様に感謝いたします。 これらの訪問やそれに関連する記事または出版物は、推奨として捉えたり使用したりしないでください。

筆者一同より、Gina Latendresse氏に、この旅の実現にご協力いただき、またオフィスおよび現地にて貴重な体験談や知識をご提供いただいたことに対して、心よりお礼申し上げます。 また、指導および援助をいただいたTennessee Wildlife and Resources Agency(テネシー州野生生物資源庁)のDon Hubbs氏にも心から感謝しております。