M.D. Hohenstineによる宝石の展示作品: ショーウィンドウを飾る裸石(ルース)を使った好評のアートを作成するプロセス
4月 27, 2018

編集者注: 宝石商のM.D. Hohenstineの壮大な展示品は、1920年代に始まり、他界された1976年まで、オハイオ州コロンバスのダウンタウンでこよなく愛されている伝統でした。数百もの天然の裸石を様々な形、模様、図に配置して作られた展示品は、1週間ごとに異なるデザインでショーウィンドウに飾られました。Hohenstineは、2000点以上もある展示品をそれぞれ写真撮影してスライド写真に残し、仲間の宝石商や宝石鑑別士を教育するために使用していました。彼は、その多くのものを元従業員そして長年の家族の友人であるJudith Allen Hallが宝石学のクラスを教え始めたときに贈呈しました。2016年、HallはGIAのRichard T. Liddicoat宝石学図書館情報センターにそのスライドを寄贈しました。
この記事では、Hohenstineが彼の宝石店のショーウィンドウを素敵に飾り立てるために作成したアートを何十年もの間生み出すのに従った見事なプロセスをHallが紹介します。
Hohenstine氏は、表面がつや消しされていて、金箔が施された木製のフレームがある不透明なガラス板を何枚か作りました。それぞれのプレートは直径約10~12インチ(25~30㎝)でした。円形のものもあれば、正方形のものもあり、色はホワイトか薄緑色でした。また、プレートに小さな穴を開けたものもありました。プレートの下に小さなモーターのようなものを置き、プレートの上には10カラットの ダイヤモンドが回転して輝くように真っすぐに保つ棒がありました。
彼は、まず最初に柔らかい鉛筆でプレートの上にデザインを描き、裸石がいっぱい収められた机の引き出しを開きました。ピンセットとオプティバイザーを使って、一つ一つ丁寧に宝石を置き始めました。ブリリアントカットのテーブルがある方向に回転すると、深さの錯覚が起こります。宝石はすべてプレートの上に置かれただけで、宝石をしっかりと取り付けているものは何もありませんでした。
いかに複雑なデザインかにもよりますが、デザインを完了するのに6時間以上かかりました。顧客は、ダイヤモンドの作業部屋の前にあるカーブした窓から彼が働いているのを見ることが出来ました。

彼は非常に独創的で、すべてのデザインを撮影する方法を作りました。カメラが、ダイヤモンドの作業部屋の机の後ろにあるキャビネットで下向きに取り付けられていて、完成した宝石のデザインに焦点を絞るのにぴったりと合う高さに調整されていました。棚の上にそのガラス板をスライドした後、カメラのボタンを押すだけで、撮影することができました。各スライドには、デザインの番号とそのデザインに使われた宝石の数と種類が書かれていました。
デザインが完了し、撮影が終了すると、火曜日の夜の閉店後にショーウィンドウを飾る準備が整いました。前にある左側のショーウィンドウは、ダイヤモンドの作業部屋から約90~100フィート(27~30m)のところにありましたが、プレートを運んでいるともっと長いように感じました。このショーウィンドウは、ほんの少し傾いていて、しっかりと固定されていない宝石のあるプレートがそこに置かれました。
この左側のショーウィンドウは厚さ1インチ(約2.5cm)の防弾ガラスでできており、その下には非常に大きなI形梁が設置されていたので、人混みなどでプレートが揺れることはありませんでした。ショーウィンドウを開けるように鍵を解除すると、後ろのガラスが持ち上がりました。その日まで飾られていたプレートは、とっても慎重に外されて、ショーウィンドウの後ろにあるショーケースに置かれました。新しいデザインのプレートを置くのに問題があった場合、これまで飾ってあったものを置けるように十分に手入れされていました。
新しいデザインのプレートが置かれると、Hohenstine氏はオプティバイザーを身に着け、ピンセットを使って動いた可能性のある宝石を元の位置に並べ直しました。その後、フレームが置かれて、「これは1543番目のデザイン。200粒のルビーと56粒のエメラルドが使われています」のようなタイプされた説明書きが添えられました。
その後、古いデザインのプレートは、慎重にダイヤモンドの作業部屋に運ばれました。翌日、彼はそのデザインをばらばらにして、小さな宝石をすべてそれぞれの封筒に戻しました。
Judith Allen Hallは、南フロリダ大学で30年以上宝石学講師を務めていました。彼女はM.D.Hohenstineの家族の友人および元従業員でした。