展覧会レビュー:Bent, Cast & Forged: The Jewelry of Harry Bertoia(曲げる、鋳造、鍛造:Harry Bertoiaのジュエリー)
8月 26, 2016
Harry Bertoia(1915~1978年)は、他のジュエリーデザイナーとは違っていました。 彼は、母親や祖母のジュエリーの思い出を通してインスピレーションを得たわけではありません。 彼が金属加工に夢中になったのは、台所の器具を修理したり作ったりするジプシーが、彼の故郷であるイタリアのサンロレンツォに来たおかげだったのです。 輝く金属や金属を打ち付けるさまは「深く楽しそうな」印象を彼に残し、それは彼の仕事にも影響を与え、その作品の幾つかが現在、ニューヨークのMuseum of Arts and Design(ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザイン)の展覧会、Bent, Cast & Forged: The Jewelry of Harry Bertoia(曲げる、鋳造、鍛造:ハリー・ベルトイアのジュエリー、図1)に展示されています。
ジュエリーは、Bertoiaの作品のほんの一部です。 彼は1930年に、イタリアからデトロイトに移住して、Cass Technical School(キャス技術学校)に行き、芸術とデザイン、ジュエリーの作り方を学びました。 1936年に彼はArt School of the Detroit Society of Arts and Crafts(デトロイト芸術工芸協会の芸術学校)で勉強し、翌年Cranbrook Academy of Art(クランブルック芸術大学)に入学し、絵画とデッサンを勉強しながら教師として教える奨学金を受け取りました。 当時、比較的歴史の浅いこの学校は多様なクリエイティブな人々が交わる場所となり、Walter Gropius(ヴァルター・グロピウス)、Ray and Charles Eames(レイ&チャールズ・イームズ)、およびFlorence Knoll(フローレンス・ノル)など、多くの有名な芸術家、デザイナー、建築家などが集まっていました。 Bertoiaはプログラムを終えた後も、1939年にクランブルックの金属加工工場を再開するために留まるよう頼まれました。 1941年より、第二次世界大戦のために金属が大量に使われるようになり、Bertoiaはの作業は小さな装飾品やジュエリーに制限されました。 彼は金属作業場から金属屑を集め、蚤の市の食器類などから真鍮やシルバーを探しました。 これらの素材さえ不足するようになったとき、彼はグラフィックデザインを教えました。 展覧会には、彼のクランブルックでの学生時代から、最も多くの作品を生み出した1940年代までのジュエリー作品も展示されています。
クランブルックでは、Bertoiaは創造的なビジョンを表現する方法としてデッサンとモノタイプも始め、そこから自由でのびのびとした構造と線を探求しました。 Bertoiaは、彼のキャリアの中で、4000点以上ものモノタイプを制作しました。 メディアは彼が抽象芸術を探求する出発点となり、有機的でボリュームのある形と線の関係を発展させるために役立ち、動的な秘めた活力として表現されました。 展示中のモノタイプのほとんどは、ジュエリーと同時期に作成されました。
Bertoiaは、デザイナー(および元同級生)のCharles EamesとRay Eamesと作業するために1943年にカリフォルニアに移りました。 1940年代を通して、Bertoiaはジュエリーやモノタイプを作り販売し続け、その中で動くような生物の形態と似たスタイルを作り上げていきました。 彼の作品は、1946年のニューヨークのMuseum of Modern Art(近代美術館)での展示など、いくつかの現代的なジュエリー展示会に出展され、材料よりもデザインを強調するスタジオ・ジュエリーの動きの波にのったのでした。
MADの展示にある一番古い作品は、1935年作成のペンダントで、純銀と不明の宝石が使われ、アールデコの幾何学を反映しています。手作りのチェーンを作成し宝石をセッティングする技術が見受けられますが、Bertoiaがその後すぐに発展させてゆく独特なデザインの形態はまだ表れていないため、まだ学生時代の作品であることが明らかです。 球状の帽子のピンは、その軽さが独特です。 これは、銀のワイヤーの周りに3種類の質感の異なるセラミックのビーズがつけられています。 クランブルックにバウハウスの建築家Walter Gropius(ヴァルター・グロピウス)が訪れて、Bartoiaに空間にものをデザインするようにと課題を出し、それを受けて造られた作品と言われています。 複数のモノタイプの作品も展示されており、同心で軌道が重なる様子は、その作品と非常に似ています。
1940年代の魚の背骨のブローチ(図2、左)は金属が不足していた時代の作品で、純銀の証明がついていますが、リサイクルされた銀器としてその出所を偽っています。 これは明確な表現の作品で、この特徴はBertoiaのブローチやネックレスのトレードマークになりました。 ブローチにはモノタイプがついており、繰り返される形(図2、右)には刺激されます。
Bertoriaが妻のためにつくったネックレは数少ないゴールドの作品のひとつで、1940年代初頭に彼が生物的な形や動きに魅力されていたことがわかります(図3)。 ハンマー打ちの鍛造された葉のような部分で構成されており、リベット留めして繋がった構造からわかる明確な表現は、真鍮の葉っぱのネックレスや19.5インチの飾りのムカデにも表れています。
10年のうちに、Bertoiaの作品はより抽象的になりました。 一見シンプルなジグザグのモチーフのブローチ(図4)で、動作の形や動きを、そのまま解釈せずに象徴化しています。 この1940年代後半のブレスレットは、直線的なデザインを起用し、将来の公共の場所や企業スペースを飾ることになる大きな真鍮や銅のスクリーンの前兆のような作品です。
Bertoiaは、Hans KnollとFlorence Knollと作業するため、1950年にペンシルベニア州に引っ越しました。 彼はそこで、現在も製造中の有名な「ダイヤモンド」の椅子を含め、5点の家具のコレクションをデザインしました。 家具コレクションの成功による収入のおかげでBertoiaは独立した彫刻家としてその後十年ほど活躍し、その間50点以上の作品の制作を依頼され、それらには多様な方法と形が取り入れられ、彼の芸術家としての旅路が表れています。 彼はその十数年の間、ジュエリーは一切制作しませんでした。
1960年代にBertoiaは、「色調」の彫刻と呼ばれるものを試みて、平らな土台に背の高い垂直の縦棒をたて、その大きさは数インチから20フィートあるものや、大きな銅鑼の彫刻までありました。 彼は古い納屋を改装し、そこに約100点の彼のお気に入りの「Sonambient」の彫刻を飾りました。 Bertoiaは短期間だけジュエリー制作に戻り、大きなゴングの彫刻(図5)をベースに、小さなペンダントやブローチの小さなコレクションを制作しました。 ジュエリーの作品は4〜5インチで、堂々とした作品です。
ジュエリー展示会では、共同展示会で生まれた感情に訴え耳に残る音、Atmosphere for Enjoyment: Harry Bertoia’s Environment for Sound(楽しむための雰囲気:Harry Bertoiaの音のための環境)を聞くことができます。これは納屋で録音された作品です。 展示会はBertoiaの家具デザインと、彼自身が「Sonambient」の彫刻で音を奏でながら自身のデザイン哲学を語るビデオでもってBertoiaの幅広い作品とインスピレーションの鑑賞を締めくくります。
この展示から影響を受け、何か偉大なものに遭遇したという気持ちを抱かずにはいられません。 Bertoiaは、身の回りの環境を自身の感覚を通して真に経験した芸術家でした。 彼は多くの媒体を利用して、生命、動き、空間、空気、音を表現し、オブジェクトを通して雰囲気を作り出しました。 これらの二つの展示は、デザイナー、ジュエリー関連の専門家、芸術愛好家、そして哲学者を魅了し、お気に入りや彼ら自身の声が表現されているのを発見するでしょう。
Bent, Cast & Forged: The Jewelry of Harry Bertoia(曲げる、鋳造、鍛造:Harry Bertoiaのジュエリー)は2016年9月25日(日曜日)まで開催されます。 望ましい入場料は大人$16、高齢者は$14、学生は$12です。 MADの開館時間は、火曜日から日曜日は午前10時〜午後6時まで、木曜日と金曜日は午前10時〜午後9時までです。 月曜日と主な祝日は休館です。 Atmosphere for Enjoyment:Harry Bertoia’s Environment for Sound(楽しむための雰囲気:Harry Bertoiaの音のための環境)と同時開催です。
Donna Beatonは、GIAのコンテンツ戦略部門のカラーストーンの技術顧問です。